「おのれ…!!小娘ぇッ!!」

十字陵をサウザーの荒々しい声が揺らした。
ここまで追い詰めて、あんな場面であの小娘。

(忌々しい…!!)

「貴様!命を助けてやった恩を忘れたか…!」
「あれ、やっぱり助けてくれてたんですか?助けたわけじゃないって仰いましたけど」
「減らず口を!!」

しれっと返した目掛けて、サウザーは憤怒の形相で大槍を部下から奪い取った。
身体を弓なりに逸らせたサウザーの槍が雲をも突き破る勢いでに向かう。
しかしは慌てずに石段を軽く蹴ると、

「よっ、と」

宙を舞いながら飛んできた大槍を掴んで無理矢理方向転換させ、縦に一回転してあろうことか十字陵の階段にダン!と突き立てた。

「な…!」

舞い踊るような動きは正に胡蝶の異名に恥じぬもの。
の髪がもう一度さわ、と流れた。
石段に突き立てられた槍の隣で、凛然とした黒い瞳が真っ直ぐにサウザーを穿つ。
対して、サウザーのギラギラと燃えた瞳がに溢れんばかりの殺意を放つ。
しかし、はそれを受け止めた。

石段を下り、しばらくしてサウザーの前に立つと、目の前に降り立ったの胸倉をサウザーが掴みあげる。
けれど、は声を上げることもなく黙ってサウザーの目を見つめていた。
凪いだ海面のように静かな眼。
その眼に苛立って、サウザーはを放し舌打ちした。

「ふん…よほど人質の命が惜しくないと見えるわ」
「だったらなんです?」
「!」
「仕方ないでしょう。私はその子達とは正直全く面識が無いですからね。私としては、人質がいようがいまいが、お世話になったシュウさんを助けられれば満足です」
「…何…?」
「大体こっちだって言わせてもらいますけど、敵のはずの私を逃がしたのは貴方ですよ?自分の怠慢で回ってきたツケくらい自分でどうにかしてください。それに今時聖帝なんてねぇ、子供だって言いませんよそんなの。何処の新興宗教ですか全く!おまけに本人全然聖なる感じなんてしないのに何処が聖帝ですかこの俺様っ!」
「………!」

ワンブレスでそこまで言い切って、はふうっと息を吐いた。

(ついに言えた)

まだまだ言いたいことはあるのだが、それを全部口にすると日が暮れる。
正面切って大衆の前でこれだけ文句が言えれば上等である。
シュウを助けるついでに、勝手に取られたキス(一回目含む)への報復も達成したであった。

一方のサウザーは最早怒りすら通り越したのか、をまるで珍しいものでも見るかのような眼で凝視している。
紫暗の双眸が何故か怒りの色を無くしていることにも気づくが、そこを問いただしているほど暇でもない。
仕返しは済んだので、は話を変えた。

「…本当はもう少しお話したかったんですけど、時間切れです」
「時間…まさか貴様、」

我に返ったサウザーがはっと十字陵を見上げると、そこには既にシュウとシバの姿は無く、ケンシロウが中段あたりでサウザーを待っていた。

「シバくーん、シュウさんは大丈夫ですかー?」
「ええ!時間稼ぎ、お疲れ様です!」
「ペテン師め…!!殺してやる!」

まんまと嵌められたことに気づいたサウザーは、拳を振りかざす。
直接話ができるほどの近距離では、は避けることはできない。
ケンシロウが慌てて止めに入ろうとするが、命の危機だというのには動かなかった。
自分を信じていたからだ。

こんな所で――死にはしない。

「死ねぇっ!!」
さんっ!!」
「―――ッ、」

リンの声が甲高く響き、皆の目が一気に集中する。

一瞬の出来事だった。

「……」

首元で止まった指での突き。
一滴の血も流れてはいなかった。

「………ち、」

ただじっとサウザーを見つめていただけ。
がしたのはそれだけだ。
拳を止めたのは、

「何故避けん…!」

サウザーの方だった。

「…避けられなかっただけです」
「嘘をつくな」

の答えを否定して、サウザーは静かに踵を返した。
ケンシロウが待つ十字陵で最後の決着をつけるために。

「……やはり貴様は気に入らぬ」
「奇遇ですね。私もあなたのことは一発引っ叩きたいくらいです」
「震えた足で気丈に振舞っているつもりか?…馬鹿め」
「!」
「多少は成長したかと思ったが、中身は変わらぬようだな」

サウザーに指摘されてが自分の足を見ると、震えなどなかった筈の両足は小刻みに震えていた。
先ほどのサウザーの突きだけは、本能的に身体が震えてしまったのだ。

「この俺様をここまでコケにしてくれた礼、必ず返す」
「返して頂かなくても構わないです」
「貴様の都合など知るか。そこで待っているがいい」

はきゅっと唇を噛み締めてサウザーを睨んだ。
だがサウザーはをじろりと見て不適に笑うと擦れ違いざまに高らかに宣言した。

「俺様が勝つ。そして貴様をこの俺様の後ろに侍らせてくれるわ!」



「……………………………………ウワッ……」


「おいあの女、今ウワッって言ったぞ…」

展開に頭がついていけずに中途半端な声が出たを見て、サウザーの部下が漏らした。
ちなみに微妙な反応をされた当の帝王はといえば、全くスルーでしかも何故か勝ち誇ったような表情で聖帝十字陵を上っていく。
にしてみても、何を言われたのかかなり不明だったのでやんわりとスルーしておくことにした。
が、「そこで見ていろ」と言われて「ハイわかりました」と素直に言うことを聞いてやるような柄でもない。
ふらつく足で、とにかく安全圏を、とが辿りついたのは非常に生暖かい目でこちらを見ているトキと、おそらく一番ツッコむべきであるサウザーの最後の台詞を天然でスルーした元・雇い主のラオウのところであった。
とてもカワイソウな様相のにトキが残念なものを見る目で問いかけた。

「あー…その、大丈夫か?
「……」
?大丈…」
「………………………………負けろ負けろサウザー負けろ負けろ負けろ負けろ負けてくださいって言うか負けなさい勘弁してください勝たないでケンシロウさん頼むから勝って5秒くらいでメッタメッタにしてやってェェェ…!!」
「「………」」
「なんなんですかアレ私が何をしたって言うんですかイヤそりゃしたけど普通殺すとかそういう真逆の台詞出すとこでしょーがむしろイヤガラセかあれはそうなのかー!!」

頭を抱えて、うおおぉー!と叫び始めたを横目で見て、トキはサウザーに視線を走らせた。
そして、成る程そういうことかと肩を竦める。

「やれやれ…厄介な子を相手にしてしまったものだな、あの男も」
「トキ…何の話だ」
「なに、気に留めるほどのことではない」

苦々しく笑い、トキは一人の男としてサウザーに僅かに同情した。
ちらりと見れば、は既にサウザーに向かって気合を入れて負けろ負けろと100%無意味な念を放っている。
バリアバーリア!最強バリアー!とか言い出している。小学生レベルである。
しかし、そんなにはどこか人を惹きつけるものがあるのも事実だ。
ある意味ユリアと似たような空気を持っているのかもしれない。
は彼女ほどの美女ではないけれど――

「なんにせよ、困った蝶だ」