サウザーの城を駆け抜けながら、はドミノのように押し寄せる記憶の波を受け止めては拳を握った。
やっと思い出した。
ここに居る理由も、どうやってここに来たのかも。


(何で忘れてたんだろう)


(一番大切なことだったのに、どうして!)


には記憶が消えていた理由はわからない。
何故ならこの理由だけは、がこの世界に来ることを許した者が絶対的な権力で硬く封じているからだ。
そんなことは露知らず、は胸元のペンダントを強く握った。

サウザーがケンシロウに敗れた。
覚えている限りの“あちらでの記憶”を総動員すれば、次に起こるのはトキとラオウの闘い。
そして、それが終わればリュウガがケンシロウに闘いを挑み、そして――。

(違う、死なせない!!)

サウザーの城を飛び出し、暮れかけた太陽の光に目を細めると、は一旦足を止めて息を整えた。

「はぁ、はぁっ…!」

大丈夫だ。
まだ、間に合う。
いや、間に合わせて見せる。
何をしてでも、彼を死なせたくない。
けれど、どうやって止めればいい?

(リュウガさんは、お腹を切ってケンシロウさんと闘うんだった)

ならばそれを止めれば?

(だめ、際どすぎる!)

が読んだ話の中では、彼がいつ腹を切るかは描かれていなかった。
推測しても早くてトキを攫う前、遅くてケンシロウと闘う前だ。
そんなギリギリの場面では、あの頑固な男の事、いくら説得しても通じまい。

(とにかく早く会わなきゃ)

できればリュウガがケンシロウに会う前に、一度だけでも会わなければ。
接触してしまってからでもいい。
とにかく話すのだ。
今までどうしていたのか、そしてこれからのことも。
嫌な思いをさせたことも謝らなければならない。

(きっと私、あの人を傷つけた)

(ディロンさんに何かを言われたのかもしれないなんて、馬鹿みたい)

(私だって、リュウガさんに忘れられてたら傷つくのに)

(怒ってても、嫌われても仕方ない)

「酷いこと、したんだ」

忘れてたなんて言い訳に過ぎない。
だから、謝りたい。
ただのエゴでも良い。
許してくれなくてもいい、もう自分を好きじゃないかもしれない、それでも構わない。


「絶対に、死なせない…!」


空を射抜く黒い瞳の奥で、金の炎が揺らめいた。
静寂の闇の中で、一人の娘の願いが一つ、誓いに変わる。



夜空の下で焚き火に照らされて佇んでいたトキは、サウザーの城のある方向から歩いてきた人影に気づくと、型をとっていた身体の力を抜いた。
トキに気づいたのか、人影も少し早足になってトキに近づいてきた。

。こんな夜更けに何をしている?」

声をかけられた人影――は、その問いを笑顔でさらりと流すとトキに尋ね返した。

「トキさんこそ、どうしたんです?身体の方は大丈夫なんですか?」

その問いを自分もまた笑顔で流すと、トキは「座ったらどうだ」と火の傍にを促した。
闇の中でオレンジに照らされた娘は、素直に従って火の傍に腰掛け、トキを見上げた。
黒い瞳に炎が映っている。
それがじっと己を見つめているので、トキは訝しげに尋ねた。

「私の顔に何かついているか?」
「…無茶、しないでください」

唐突に投げかけられた言葉に、トキは微かに目を見張った。
ラオウとの闘いのことだろうか。
それならば、酷な事だが心配するだけ無駄だ。
トキは既に、己の命が闘いの中で消えても構わないと決めているのだ。
じっと自分を見上げる娘に、トキは答えた。

「…君にはそう見えるかも知れん。だが、私は無茶だと思った事はない」
「エゴでも?」
「ああ」

トキの答えにはしばらく思案し、長い溜息をついて膝を抱えた。
しかし表情は哀しみではなく、呆れたような様子である。

「他に言いたい事はあるか?」
「いえ。確認できたんで、もーいいです」
「何を」
「強い人は傍迷惑なくらい頑固、ってこと」
「そうか。他には何か?」
「トキさんが例に漏れず頑固ってことも」
「ふふ、私よりも頑固な男は山ほどいるが」
「知ってますよ。少なくとも貴方のお兄さんと弟さん、それに貴方の弟さんの友達と私の知り合いは皆そうですから」
「おや、ではわざわざ私で確認しなくてもわかっていたのでは?」
「念のためです」
「ご期待に添えたかな」
「ええとっても。」
「…」
「……」
「「ぷっ…」」

まるで闘いの前である事を忘れるような日常的な会話に、トキとはややあって同時に噴出した。

「全く、何の話をしているのだ君は」
「トキさんだってノリノリだったじゃないですかぁ!」
「君が話すからだ」
「聞かれたからですよー」

揺らめく炎を挟んでの談笑をしばらく楽しむと、やがて途切れた話の後でが話を切り出した。

「…トキさん。私、皆に話してなかったことがあるんです」
「ほう」
「私ね、記憶喪失だったんですよ」
「……何?」
「で、ついさっきサウザーの城で全部思い出しました」
、それは…」
「やらなきゃいけないことも、何をしてきたのかも、全部思い出したから」

だから、とは続けた。

「私は多分、貴方とラオウさんの闘いを見られません」
「…」
「だからこんなこと言うのは我侭だってわかってます。でも、言うだけ言わせてください」

そう前置きし、は息を吸って静かに告げた。

「私は貴方に生きてて欲しい」
「……!」
「忘れないでください。貴方を待つ人はたくさんいるってことを。仲間だと思われていなくても、友だと思われていなくても、恋人でもなんでもなくっても。…貴方を大切に想う人がたくさんいることを」

真っ直ぐにトキの目を見据えて訴えるに、トキは目を逸らして苦笑した。
は優しい娘だ。
けれど賢い。
知恵が回る。
はおそらく自分が弱者の願いを無視できるような男ではないとわかった上で言っているのだ。
本当にいい根性をしている、と純粋に自分を止めようとしている娘に感嘆し、トキは返した。

「………君はずるいな。そのような事を言われて、私の心が揺るがないと?」
「どの道自分の道を選ぶくせに、よく言えますよ」
「性格もいい」
「トキさんほどじゃありません」
「それに強かだ」
「褒め言葉だと受け取っときます」

トキの言葉に悪戯っぽく笑い返すと、は立ち上がりスカートの砂を払った。

「どこへ?」

問いかけたトキに、はオレンジに照らされた顔で微笑み、歩きながら答えた。

「言ったでしょう?全部思い出したって」

ぱちん、と薪が弾ける音が夜の空気を打つ。
柔らかな風が砂と共に、闇に立つ娘の髪を撫でていく。
じゃり、と砂を踏みしめる音と共にトキを振り返ると、は笑顔で言った。





「世界で一番大好きな人に、逢いに行きます」





その夜、はシュウのアジトから静かに出て行った。
直に闘いに臨むトキだけが、彼女の今までに無い力強い瞳を知っている。