真っ白な道を歩いていた。 「んなワケな…ッッ!!?」 とんでもない夢に飛び起きたは、腹の痛みに声も出さずに呻く羽目になった。 そうだ。 考えてみれば、あのリュウガが元恋人の説得くらいで簡単に考えを曲げるはずが無いのだ。 腹も痛いがそれ以上に心がきりりと悲鳴を上げ、は髪をぐしゃぐしゃと掻いた。 痛む腹を押さえて、は一旦ベッドを降りようとマットレスに手をついた。 のものとぴったり合わさる、もう一つの半欠けの雪の欠片。 「……行かなきゃ。」 (それに) 「すいません、あの!」 声を出すだけで腹が軋むように痛む、我慢するしかない。 「あのっ、私と一緒に上に行った男の人、何時頃出て行きましたか!?」 ぎり、と奥歯を噛み、は宿を飛び出した。 「すみません、宿泊はキャンセルで!」 外に出てバイクに跨り、はすぐに違和感に気づいた。 (地味にむかつく…!!あんの元・意地悪上司ぃぃ!!) 潔くバイクを捨てて、は宿に小屋に繋いである馬に目をつけると、すぐに宿のカウンターに戻って主人に声をかけた。 「おじさん、馬借りてきますから!!」 後ろで宿の主人が何か喚いていたが、はこのことについては後で謝る事にして、とにかく今はリュウガに追いつくことを考える事にした。 もう、彼は誰かをその手にかけてしまっただろうか。 けれど咎人の仮面を被り、誰かをその手にかけてしまっているなら、一刻も早く悲劇の連鎖を止めなければならない。 (魔狼なんかじゃない) (そんな悲しいものにならないで!) 思い出せば、彼はいつも敢て嫌われ役になるような態度を取った。 彼は、違う。 もう守られるだけの子供じゃない。 馬が地を蹴り、蹄が地面にぶつかって軽快な音を立てる。 彼の姿は、何処にも見えない。 (違う、そんなことないっ!) 歯を食い閉めて、手綱を操り馬を煽る。 (諦めたくない、絶対…!) あの人がいない世界なんて見たくない。 結末を知った人間が運命を変えること、それが罪だとは思わない。 けれど、彼が生きている世界であれば、例え手に入るものが先の読めない未来でも構わない。 追い風が吹いた。 (それでもう一度私の名前を呼んでくれたら、) (嫌われても、構わない) この世界が狂っても、彼の未来が欲しい。
どこにも行き場が無くて、ただ手探りに歩いていたら何かが顔にぶつかった。
なんだろう、と思って、顔にぶつかったものを手で触ってみる。
それは、なんだかトゲトゲしている。
トゲトゲしていて、でも物凄く痛いくらいの棘があるわけでもなくて、ええと、これは…そう…ド…
「…ドリアン?」
って。
腹が鉛を飲み込んだように痛い。
この痛みはどこから来るのだと記憶を辿り、は一瞬で全てを思い出した。
自分は確か、リュウガに会えて――
「に、逃げられた…」
説得し損ねたのである。
しかも情けない事に当身を食らわされて気絶してしまったらしい。
朦朧とした意識の中で、何かを聞いたような気がするが、正直痛くて思い出せない。
服を捲って腹を見てみれば、見事に丸い青痣ができている。
あの元銀髪頑固上司、もとい彼氏は涼しげな顔して猪突猛進、集中熱血タイプなのである。
ちょっとやそっとのことでは折れない。
それが自分の信念に基づく事なら尚更だ。
おまけにとは暫く会っていなかったのだ、何を今更と思ったに違いない。
説得は無理だった。
けれど、このまま死なせたくない。
彼が死ぬところなんて考えたくなかった。
それだけは、なんとしてでも食い止めたい。
でも、どうすればいい?
不意に何かがの掌に触れる。
ちくりと棘のようなものがあるそれを手にとって、は小さく声を上げた。
勿論ドリアンなどではない。
手の中でキラキラと輝くそれは、かつてがリュウガに渡したもの。
こんな所でぐずぐずしてはられない。
仮令彼がとの関係を終わらせるためにこれを置いていったのだとしても、の心に変わりはない。
もう自分を偽るのは終りだ。
強い振りなんかしない。
ただ欲しいものを欲しいと宣言しに行くだけだ。
それに、はまだリュウガにはっきりと嫌いだと言われたわけではない。
(あんなの、ちゃんとしたお別れなんかじゃない)
彼が何を言っていたかは思い出せないけれど、頬になにか温かいものが触れた事だけは覚えているのだから。
「ちゃんと嫌われるまで…っ、諦めるもんか!」
片割れのペンダントを首にかけて服の中に仕舞い込むと、は腹の痛みを堪えてテーブルに載っていた荷物を手に、宿の階段を下りた。
カウンターでは宿の主人が宿帳を捲っていた。
苦痛に漏れそうになった声を堪え、は宿の主人に尋ねた。
「んん?ああ…日が落ちる前だから…うん、大体3時間ほど前だね」
「!3時間も…!」
「えっでも、お嬢ちゃん」
「そうだ、リュウガという将軍がいる城はどちらにあるかわかりますか!?」
「あ、え、ええと、北東に50キロくらい…」
「ありがとうございます!払い戻しはいりませんから!失礼します!」
まさかと思いバイクのタイヤを見れば、前輪後輪共に見事に引き裂かれていた。
一発で犯人がわかるやり方だ。
彼らしくない。
焦っていたのだろうか。
しかしなんにせよ、腹の立つことに変わりはない。
かなり一方的に。
「ええっ!?ちょ、ちょっとお嬢ちゃん!!」
「絶対返しますからっ!ごめんなさーい!」
馬に飛び乗って手綱をしっかりと握り締め、その腹を蹴りどんどんと速度を上げていく。
振動で当身を食らった箇所に絶え間なく鈍痛が襲うが、それすら構ってはいられない。
腹を割ってしまったのだろうか。
ただ腹を切っただけならまだ止められる。
胃や腸は損傷の度合い次第では回復できる器官だし、大切な臓器が傷ついていなければ命に別状は無いはずだ。
無理に動き回って大量の出血をしなければ、助かる見込みはある。
せめてトキを手にかける前に、何が何でも彼に追いつかなければ。
初めて任務を言いつけられたときも、聖帝の城から帰ったあの夜も、いつもいつも自分の想いは後回しで、誰かのことばかり考えて、一人で自己完結してしまう。
納得がいかないと他人に非難されても、心を押し殺して黙っている。
そんな人が、救いようのない悪党と同じだと思われるのは耐えられない。
いつだって自分を抱きしめてくれる腕は温かかったし、髪を撫でる手も指も優しかった。
何度も顔を埋めた胸板の温もりも、甘く蕩けるような声も、氷の色をしていても灼ける様に熱い瞳すらも、全て覚えている。
全身全霊で、愛をくれた。
を守るために何度も悪役になって、まだもののわからなかったあの頃のの罵詈雑言すらも受け止めてくれた。
今度は自分が彼を支え、守る番だ。
隣に立って、共に闘いたい。
リュウガが何もかも一人で背負い込む必要など無いのだ。
苦しければ、重荷を分け合えばいい。
人は一人で全てを成すことが出来ない。
会話すら、一人では出来ないのだから。
顔に当たる風が、の黒髪をばらばらの方向に散らせた。
襲撃するなら近くの村からだろう。
どれくらいかかるのだろうか。
もう、遅いのか。
まだ遅くはない。
まだ、間に合う。
だからここに来て、追いかけているのだ。
それすらも運命なのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
今ある運命を変えた後で何が起こるかなど、には見当もつかない。
彼を救うことで、誰かが苦しむかもしれない。
誰かを救えるかもしれない。
この先の物語に大きな変化をもたらすかもしれないし、そうではないのかもしれない。
どの道既に話の中で死んでいるはずの人物も、の無意識のうちの介入によって生き延びている。
今更未来を変える事に迷う理由も無い。
リュウガの命を救う為ならばどれだけ自分が傷ついても、誰かの道を阻む事になっても、もう躊躇いなどない。
持っているもの全てを賭けて、今はただ、彼が生きている未来が欲しい。
馬の速度が少しだけ速くなった。
(リュウガさんが生きていてくれればいい)
「あの人がいない世界で生きるより、ずっといい…!!」