蹄鉄が地を蹴る音が重く激しく地面を穿つ。
身体を揺らす振動に耐えて真っ直ぐに馬を走らせていたは、方位磁石を取り出して方向を確認した。
北東に約50キロ。
飛ばせばまだ間に合うかもしれない。
奥歯を噛み締めが手綱を握る手に力を込めたとき、後ろから何人かの男たちが彼女の乗る馬をバイクで追いかけてきた。

砂煙を巻き上げてどんどん距離を詰めてくる。
よく見ると拳王軍のシンボルが兜に模られている。

「…!こんな時にっ…!」

また拳王軍の新手か、とが速度を上げようとすると、男たちの中の一人が叫んだ。

「お待ちください様、我らはリュウガ殿の部下にございます!!貴方様をお迎えに上がったのです!」
「え…!?」

耳に飛び込んできた言葉に、は思わず馬の速度を落とした。
その隙に男たちのバイクがあっという間に彼女の馬と並列になる。
まずい、と再び馬の速度を上げたは、男たちに向かって叫んだ。

「ッ…嘘を!どうせ貴方達も私を殺しに、」
「嘘ではございません!リュウガ様は貴方様を保護するように我らに言いつけられたのでございます!」
「なっ…」

突然告げられた言葉に、は男たちの目をじっと見つめた。
嘘を吐いている様子は無い。
見たところ攻撃してくる気も無いようだ。
腰に見えるのはボウガンだ。
殺しに来たのならわざわざ声をかけず、後ろから撃てばよかったはず。
は相手に敵意が無い事を確認すると、馬の走るスピードを落とした。
そして止まった馬の上で俯き、自分を追ってきた男たちに視線を動かした。

「……話を…聞かせてください」

「…リュウガ様は、様だけは生かせと我らをここへ」





リュウガの部下が発した言葉に、は息が詰まりそうになった。
彼にはを殺す気はやはり無かったのだ。
邪魔するならば容赦しないなどと脅しておいて、気絶させただけで去って行くというのがそもそもおかしかった。
彼は拳王の命令であれば必ず実行する男なのだから、あそこはに止めを刺していかねばならない場面なのである。

「どうして…」
「それは様の方がお分かりでしょう。我らにはあの方のお心は見えませぬ。ただ…」
「…?」
「リュウガ様は我らに様を保護するよう命じられた時、とても哀しそうな目をしておいででした。おそらく…もう二度と会えぬことを覚悟しておられたのでしょう」

の問いに答えた男は、リュウガが彼を呼んでこの任務を与えた時の光景に思いを馳せた。




『お前たちには別の任務を与える』

に会ってから城に戻る時間が無かったリュウガは、常に傍についている部下の中でも信頼の置けるものだけをを置いてきた村と少し離れた場所に呼び出すと、彼らに告げた。

『ここから南西に真っ直ぐ進むと、ほどよく栄えた小さな村がある。そこの2階建ての青い看板がある宿の2人部屋に、女が一人眠っている。お前たちには彼女の保護を任せたい』

『女…ですか?』

『若い娘だ。髪は長く、身体は小柄。変わったペンダントを持っている』

『リュウガ様、それはもしや』

『…お前の想像している人物と同じだと言っておこう』

『では、あの方はやはりまだ…』

『……余計な詮索はいらぬ。お前たちが成すべき事は彼女の保護だ。良いな』

『は…かしこまりました』


部下が頷いたのを見ると、リュウガは長いマントを翻して一人、馬に跨った。


『リュウガ様?どちらへ…』

『俺はこれからやらねばならぬ事がある。お前たちは任務を遂行する事だけ考えていろ。それから、兵は今夜は城に帰すな。明後日の夜までどこかで野営をさせておけ』

『はぁ…』

『―――頼んだぞ』


その後姿が、まるで何もかもを悟ったようであった事を、彼は鮮明に思い出せた。
あれは、死を覚悟して何かを成そうとする男の背だったのだ。

「……なんですか、それ」

しかし聞かされた経緯に、は腹の中から沸きあがる怒りを抑えるのに必死だった。
では、なんだ。
彼は今から出来る限り人を巻き込まないようにした上で最低限の犠牲を出し、一人で血を浴びに行ったというのか。
一人で全ての汚名を被り、死にに行ったと?


(一方的に覚悟して一方的にさよなら?)


(なにそれ、なに、それ)


(何で勝手に)


(一人で全部決めてるの!?)


「…でしたら尚更…こんなとこで止まってられないですね」
「は?」

の発した台詞に今度はリュウガの部下が尋ね返した。
止まっていられないとはどういうことだ。
まさか、と男たちの顔色が真っ青に変わったとき、は怒りに燃えながら堂々と言ってのけた。


「一発引っ叩きに行かなきゃ気が済みません。あんの暴走上司…!」

「んなああああっ!?」


愕然とした男たちを一瞥すると、は一人の男の手からバイクを奪い取った。

「お借りしますね」
「はっ?ちょ」

ちょっと待てと言い終わる前に、の足は既にバイクのエンジンをかけている。
男が慌てて彼女を止めようと手を伸ばすも、フルスロットルで飛び出した彼女の身体は一瞬で男たちの間をすり抜けた。

「あああ様ーっ!!お待ちくださーい!!」
「ていうか俺のバイクー!!」
「リュウガ様に殺されるーっ!!」

背後からなにやら悲痛な叫び声が聞こえたが、完全にキレたはそれらを全て無視した。

知るか!

と言わんばかりのキレっぷりだ。

バイクなら馬の3倍は速く走れる。
はハンドルをきつく握って、真っ直ぐに北東に走る。

(絶対に、追いついてみせる!)


太陽が地平線に沈むまで、あと僅か。