赤が散る。
赤が咲く。
悲鳴と断末魔が共鳴する中で、血塗れの男は獣のように吼えた。

「はぁッ!!」
「うわあああ!!」

パイプを持って反撃してきた男の喉首を抉り、吹き上げた血飛沫を全身に浴びたリュウガの白で統一された服はいまや血に濡れて赤く染まっている。
今までにも返り血を浴びた事はあるが、これは最も酷い有様だった。

槍に頬を貫かれて、壁に縫いとめられながら絶命する男。
顔面から肉を抉られて倒れていく村人。
彼らの命の終わりを、死の匂いを、リュウガは身体中で感じ、赤の中で牙のように構えた拳を振るった。

「我が名は天狼のリュウガ!!これよりこの村は拳王様のもの!逆らうものは死あるのみ!!」

声高に名乗りを上げ、逃げ惑う村人を次々に手にかける。
飢えた野獣のような様相だった。
しかし、血を浴びて昂ぶる脳内の片隅で、リュウガは自分の行動を冷静に観察していた。

(これでいい)

(拳王様に従わぬ村は制圧されて然るべきだ)

(それに、ケンシロウの真の怒りをより引き出すためにも…この村のものには犠牲になってもらわねば)

深い藍に染まる天で、シリウスが赤く輝いた。
星の運命を背負う男を嘆くように。



赤く染まった星を見つめるものは、2人。



「天狼の星が赤く…。その身を血に染めておるのかリュウガ!」



一人は彼の主。



そしてもう一人は、



「そんな、もう始まってる……!?」



彼が愛してやまない、黒髪の娘。



トキは己の命の灯火が消える瞬間まで、一人でも多くの人々を救うためまともに動かない体に無理を強いて診療所を開けていた。
肺も骨もろくに機能しない。
一月、否2週間持つかどうかすら危うい状態だが、そんな身体でもトキは腕を上げ、病や怪我に苦しむ人々を癒す。
ずっと実現したかった夢を叶えたのである。

「ほんとはもっと早くこうなりたかったんだろうな、トキさん」

患者の老人と穏やかに話すトキを見て、バットが涙ぐみながら呟いた。
しかし、老人が病状の回復を見せようと立ち上がったその時、痩せた胸を後ろから放たれた矢が貫いた。

「おやじさん!!」
「な!」

倒れ付した老人を支えたトキが顔を上げると、視線の先には血みどろで矢を構えた男が立っていた。

「お…お前はリュウガ!!」
「しばらくだな、トキ」

声を掛けると同時に放たれた2本目の矢が、今度はトキの肩口に深く突き刺さる。
急襲に怯えながらトキを庇ったリンにすら、一切の慈悲を見せない瞳でリュウガは拳を振るった。
間一髪でトキに庇われたリンは、戦う力の無いトキの身体に新たな傷が走るのを見て叫んだ。

「トキさぁん!!」
「な…何故?」
「北斗神拳の真髄は怒り。怒りなくしてケンシロウの拳は全てを発揮せぬ」

トキの問いに答えたリュウガは、再び彼の身体に狼の牙を突き立てる。
地に膝を付いたトキは、痛みに歯を食いしばりながらリュウガを見上げた。
荒い息をつくトキを見下ろすリュウガの双眸は冷え切っている。
しかし凍てついた瞳の奥に、僅かに隠れた想いをトキは読み取った。

リュウガは昔から真面目すぎる男だった。
同時に不器用でもあった。
世を治めたいという願いは同じなのに、融通の利かないやり方しかできない。

「その全身に浴びた返り血が…お前の涙に見える」
「見抜いておったか…」

トキの言葉に、リュウガは呼吸を整えると答えた。

「俺はあえて魔狼となり、ケンシロウを深き悲しみの淵に…そのためにはお前の死が必要だ。やつはまだ真の悲しみを知らぬ…お前が死ねばケンシロウが…時代が動く」
「フ…そうか」

リュウガの言葉にトキは全てを悟ったのか、よろめく身体を立たせて言った。

「ならば殺すが良い。この定められた男の命が次の時代の礎となるならば本望」
「頭は下げぬぞトキ!!」

覚悟を決めたトキに、リュウガの拳が唸りをあげる。

「あえて時代のために魔狼の悪名を被ろう!!」

動けないトキに高速の拳が襲い掛かる。
最後の瞬間を待ち、トキは目を閉じた。

(さらば!)















瞬間、




耳を劈く音が全てに響いた。















リュウガがトキに振り下ろすはずだった拳は、彼に届く僅か数ミリのところで止まっていた。

「その人から離れてください。リュウガさん」



耳に飛び込んできた若い娘の声は、ここにいるはずのない彼女のもの。
その声を聞き、トキは思わず目を開けた。
同時に、リュウガも背後を振り返る。

「お前は…!」
!!」

胸を上下させて苦しそうに息をしながら、彼女はそこにいた。
両手でしっかりと銃を握り、その先を―――


リュウガに向けて。


…何をしに来た」
「離れてくださいと言っているんです」
「邪魔をする気か」
「もちろん」

きっ、とリュウガを睨み、銃を構え直したを見て、バットは先ほどの音が銃声だった事を理解した。
見れば、自分たちの後ろの壁に一発の銃弾がめり込んでいる。

「…俺を殺しに来たのか?」

リュウガの問いに、は表情を強張らせた。

「…っ、トキさんから離れて」
「できぬ相談だ。銃を下ろせ」
「貴方がここから出て行くまではできません」
「では撃ってみろ」
「!」

リュウガの言葉に、の腕が小刻みに震え始めた。
撃てと言うのか。
よりによって、自分が、リュウガを。
リュウガに銃を向けたまま硬直したに、トキとリンが慌てて声をあげた。

「逃げろ、!」
「そうよさん!!殺されてしまうわ!」
「…っ!」

リンの言葉に、は叫びだしたくなる自分を抑えた。


(違う。違うの、リンちゃん、この人は)


「どうした?」

の頬を汗が伝い落ちる。
リュウガは構えすら取らず、の正面に立っている。
彼を撃たなければ、トキは連れて行かれる。
でも、撃てば。

(撃ったらリュウガさんに当たる)

(でも私、)

リュウガはゆっくりとに歩み寄った。
置いてきたはずの想いが頭を擡げる。
このまま彼女に殺されてもいいとすら思ってしまう。
しかし、は撃たないだろうとリュウガは確信していた。
が葛藤しているのが目に見えてわかる。

ここまでしてもまだはリュウガを想っているようだ。
しかしトキも守りたいのだろう。
こんな事だから、放っておけなかった。
は乱世に生きるには優しすぎる。
今更いくら想っても、二度と戻れないのに。

「撃ってみろ。早くせねばトキを殺すかも知れぬぞ」
「わ、たし、」
「撃て。俺は避けん」

いつの間に距離を詰めていたのか、リュウガは銃口を自分の心臓の位置にぴたりと合わせていた。
の唇が緊張で震える。

「撃ってみせろ」
「っは、………っ…」

リュウガが自らの手で銃口を押し当てた時、はついに両手から力を抜いた。
かしゃん、と銃が地面に落ちて、乾いた音を立てて転がる。
瞬間、リュウガは落とした銃を呆然と見つめるの腕を即座に絡めとり、壁に押し付けた。

「うぁっ!」

痛みに喘いだに、動けないトキとリンが叫ぶ。

…!!」
さんっ!」

二人の声を遠くのもののように感じながら、は自分の両腕と肩を押さえつけるリュウガを見つめた。
血塗れで、きれいな所など無くなってしまった白い服。
好きだった銀の髪にまで赤が染み込んでいる。
滴る血の匂い。
自分を映していたアイスブルーの瞳は氷よりも冷えていた。

「……お前は優しすぎる」
「リュウガさん…っ」

名を呼んだ瞬間、の両の眼からぽろぽろと涙が零れた。
撃てなかった。
彼を撃たなければ、止めなければ、哀しい終わりしか残らないというのに。


「やめて…もうやめてください…!」

「できぬ」

「どうして!!」

「……


を壁に押さえつけたまま、リュウガは彼女の耳に唇を寄せた。
幾度も愛を囁いた耳に、何度も口付けを落とした場所に。

「―――幸せに、生きろ」

「―――…!」

自分にしか聞こえない声で告げられた言葉に、の全身から力が抜けた。
壁に凭れてずるずるとへたり込んだは、瞬きもせずに涙を零し続けた。
何をすればいいのかわからなかった。
どうしても、彼は止まってはくれない。

「トキ。俺と共に来てもらう」
「…いいだろう」

リュウガはトキを攻撃しなかった。
そのまま連れて行くことにしたらしい。
2人の遣り取りを聞きながら、はただ座り込むしかなかった。

力が入らないのだ。
彼が去ってしまうというのに、立てない。

「待ってくれトキさん!」
「バット…ケンシロウがここに来たら伝えてくれ。私はリュウガに連れて行かれたと」
「そんな…!」
「行くぞトキ」

バットが止めに入る間もなく、リュウガはトキを連れて村を出て行った。
蹄鉄の音が小さくなっていくのを、は座り込んだまま聞いていた。

さんっ!しっかりして!」

止められなかった。
止まってくれなかった。
それに、あんな言葉を置いていくなんて、どこまで酷い人だろう。

「…リンちゃん」

わたし。

「え…?」

涙を流し続けるが呟いた言葉に、リンは声を失った。












「わたし、リュウガさんが、すきなの」