「さん…それ…!」
の言葉に驚愕したリンは、座り込んでしまったに駆け寄り彼女の肩に手を置いて尋ねた。 「じゃあ…さんとあの人は恋人だったの…!?」 取り乱したの様子に、リンはうろたえた。 「さん、落ち着いて。気をしっかり持って」 両手をついて震えながら立ち上がろうとしたは、立ち上がらずにまたへたり込んで、悔しさに唇を噛んで呻いた。 「なんで動かないの…なんで!どうして!」 リュウガは言った。 けれど、が譲ればリュウガは死ぬし、リュウガが譲れば彼の信念は貫けない。 どうすれば、彼を助けられるのか。 「ケンを連れてきたぜ!さん、大丈夫かよ!?」 涙で滲むの視界に、黒い革ジャンの男の影が揺らいだ。 「…大丈夫か」 弱き者全てに優しい男の声に、は俯いたままぶんぶんと首を振った。 「ケン、トキさんがリュウガって男の城に連れて行かれたんだ!」 早く行かなければトキが危ない。 「待って!」 縋るように願ったを見て、ケンシロウははっと気づいた。 「何があった…」 驚きを隠せないケンシロウに、は今まで一度として彼に言わなかった言葉を、初めて口にした。 誰かに頼ることを受け入れた瞬間。 結局、想いだけ告げてきてしまった。 (怒って…いるのだろうな…) 部下に任せたはずのがあの場にいたということは、彼女は何もかも聞いた上で自分を止めに来たのだろう。 「リュウガよ」 トキは遠くを見るような目をして、リュウガに言った。 「は悪い男に引っかかったものだな…」 苦笑して見せたトキに、リュウガは頭を抱えた。 「…俺とやつの問題だ。お前には関係のないこと」 そう。 「私はな…彼女に、言われたことがあるのだ…」 トキの言葉を聞きながら、リュウガは想う。 「あの言葉…本当はお前に向けたかったのではないかと思う…」 終わったのだ。 「お前が死んだら、彼女を守る男はいるのか…?」 階下が騒がしくなり始めた。 「この話は終わりだ。お前にはもう暫くここに居てもらう」 最期の戦いを前に、リュウガはバルコニーからのぞく空を見上げた。 もうすぐ、全てに幕が下りるのだ。 「足が動くよう秘孔を突いた。俺は先に行く。お前は無理をせず、後から追いかけてこい」 が頷いたのをよしとすると、ケンシロウはその健脚であっという間に城に乗り込んでいった。 ゆっくりと足に力を入れると、ケンシロウが突いてくれた秘孔のお陰でどうにか立つ事はできた。 早く行かなければ。 (大丈夫) (ケンシロウさんが居てくれる!) 死体がある方向に走ればおのずと上に向かっていた。 長い螺旋階段を駆け上がり、転がっている死体を飛び越えて、はひたすら走った。 「う…っ」 それでも、止まっていられない。 あそこだ。 ありったけの根性と体力を振り絞って、ラストスパートをかける。 早く、早く、 「はぁ、はぁっ、はぁっ!」 (早く行かなくちゃ、) (動け、もっと早く動け私の足!!) 時間にすれば数秒だったのだろう。 「リュウガさんっっっ!!!!」 誰よりも愛しい男の名を。
「追いかけなきゃ、わ、わたしが、止めなきゃ、っ…なのに…」
しゃっくりあげて涙を流すの姿をリンは今まで見た事がない。
はいつも能天気に笑っているばかりだったからだ。
「駄目なんです!あのまま行かせちゃ駄目なのに、どうしよう、わたし」
幸せに生きろと。
おそらく彼なりにを巻き込みたくないという決意があるからだろう。
しかしも止まれない。
彼を死なせたくないという決意があるからだ。
どちらかが譲歩しなければならない。
どうにもできないのだ。
どうすればいいのか、何を言えばいいのか。
―――どうにもできないじゃないか。
が絶望に落ちそうになったその時、バットの声が聞こえた。
「バットくん…」
こちらに気づくと、焦った様子で駆け寄ってくる。
「ケンシロウ…さん…」
「怪我はないか」
「…っ、」
怪我なんかしていない。
もっと大変な怪我をしている人が居るのだ。
「…城に…!」
に怪我がないことを確認したケンシロウがリュウガの城に向かおうと足を踏み出した時、がケンシロウの手を掴んだ。
「」
「私も連れて行ってください!」
顔を上げて懇願したの頬は、涙に濡れていた。
「リュウガさんは…私の、大切な人なんです…!」
「なに!?」
「2人を死なせないで!ケンシロウさん、お願い!」
「 助 け て … ! 」
それは彼女が、初めてケンシロウに自分から縋ったということ。
「…行こう。二人が待っている」
「…!はい…っ!」
優しい死神は、涙にくれた娘の願いを聞き届けた。
*
リュウガはトキを馬に乗せて城に戻ると、瀕死の彼を抱えて広い自室の奥に寝かせた。
運命を受け入れる覚悟をしたトキの面持ちは穏やかだった。
トキを隠れさせ、あとはケンシロウが来るのを待つだけとなったリュウガは、自分も体力を温存するために彼の傍らに腰を下ろした。
暗い部屋で、最後に別れた彼女の泣き顔ばかりが浮かぶ。
どうせ死ぬなら、せめて彼女の心に生きたいと願ってしまった。
自己満足に過ぎないとわかっていても、だ。
必死で自分の凶行を止めさせようと、銃まで向けてきた。
撃てやしないくせに。
どこまでも優しい女なのだ。
リュウガが目を細めてへの想いに耽っていると、隣でトキが動いた。
「何だ…あまり話すと死ぬぞ」
「お前がそれを言えるのか…腹の傷は浅くなかろう」
「見ぬ振りをしておけ。格好がつかぬ」
「フ…すまんな、正直で」
「なんのことだ」
「知らぬ顔をしても無駄だ。ちゃんと聞こえていたからな」
迂闊だった。
北斗神拳は暗殺拳、聴力も人並み外れた連中の集まりなのだ、北斗は。
「…」
トキには関係の無い話だ。
仮令彼がを知っていても、男女の関係に口出しは無用。
それに、もう二度とは自分を追いかけては来ないだろう。
最後に見た彼女は、まるで人形のように崩れ落ちて立ち上がる気力すら無くしていた。
辛い想いをさせてしまうのはわかっていた。
それでも、これが己の使命で、使命のために生きて死ぬ事を選んだのはリュウガ自身だ。
にはどうする事もできないこと。
リュウガが眉根を寄せて黙り込んだのを見て、トキが口を開いた。
「…」
「忘れるな、と。私を待つ人が沢山いると。仲間でなくとも、友でも恋人でもなくとも…私を大切に想う人が多くいることを…忘れるなと…言われた…」
「……」
どこまでもお人好しで、どこまでも一生懸命な、二度と抱けない女を。
「……何を馬鹿なことを」
「…リュウガ…」
奇跡の村まで追いかけてきた彼女に言った言葉は、別れの言葉。
「……少し喋りすぎたようだな」
ケンシロウが来たのだろう。
彼は強い。
直にこの階までやってくる。
あと何分後かにやってくるであろう男の怒りを想像し、リュウガは深く息を吸うと立ち上がった。
「…わかった」
雲は少なく、星が紺碧の空に煌いている。
己が背負う天狼星は、今宵一際激しく輝いていた。
*
立ち上がる力が回復していないは、ケンシロウに抱えられてリュウガの城に辿りついた。
闇に聳える城を前にして、ケンシロウは抱えていたを下ろすと、座り込んでしまう彼女の前に屈みこみ、指先で足に触れた。
僅かに走った刺激にがケンシロウを不安げに見上げると、彼は簡潔に述べた。
「…はい」
どがん、ガラガラ、ぎゃぁ、などなど、破壊音や悲鳴が聞こえてくるところを見ると、見事なまでに正面突破を仕掛けたようだ。
もう少しこう、暗殺者っぽく忍び込むと言う事はしないのか彼は、とは複雑な気持ちで溜息をついたが、自分も座っている場合ではない。
しかし、元々疲労が重なっている身体はどうしてもふらついてしまう。
転びそうになる自分を叱咤して、は城に向けて足を踏み出した。
リュウガの城は壁の所々が粉砕されて何人もの兵の死体が転がっていた。
ケンシロウが活路を開いておいてくれたらしいが、これは流石にグロテスクだ。
かつては眼を背けていたそれらを一瞥すると、は躊躇わず城に飛び込んだ。
全てが終わってしまう前に。
最悪の瞬間が脳裏を掠め、は唇を強く噛んだ。
向かってくる兵を蹴散らしていったケンシロウの跡に続けば勝手に目的地に到着できる。
階段のほうへと続く血溜りと死体。
ケンシロウは上に向かったのだ。
ならばそこにリュウガも居る。
足ががくがく震えだした。
最上階までの階段は長く、いくら上っても辿り着けないような錯覚に陥る。
不意に転がっていた瓦礫に足をとられ、は石段に倒れこんだ。
身体を強く打ち付け、膝や腕に擦過傷が走った。
頬も擦りむいたらしい。
血が滲み出し、傷を負った箇所がじりじりと熱い。
壁に手をついて立ち上がると、錘をつけたような足を無理矢理引き上げ、もう一度階段を上る。
頂上まではあとほんの十数段だ。
力の入らない足を無理矢理引っ張り前に出し、は一気に階段を駆け上がると、最後の一段を踏みしめ、目の前に伸びた長い回廊を前に息をついた。
回廊の端の部屋から光が漏れている。
しかし永遠のように感じる距離を駆け抜けて、は光が漏れる部屋に突っ込んだ。
部屋に飛び込んだが目にしたのは、ケンシロウと対峙するリュウガの姿だった。
考えるより先には叫ぶ。