「よしよーし。今日は小アジの唐揚げだよー!」 猫耳イケメンとの出会いから三週間が経った。今日も今日とて、惣菜屋で買った小アジの唐揚げを持って路地裏に入ると、段ボールから銀髪の 猫耳くんが足元にすり寄ってきた。どうも餌付けは完全に成功したらしく、最近では呼べば絶対に出てくる。サクサクしたおやつみたいなおつ まみを見せると、無表情ながらも彼は目を嬉しそうに輝かせ、銀色の耳がぴくぴく動かし、尻尾を機嫌良さそうに揺らした。 先日、このイケメンがどうやら寝ると猫になる実に不思議な猫耳くんだということが判明した。 幻かと思ったけれど、寝たところを撫でて起こしたらポフンと煙を上げて再び人間に戻ったので確定だ。ついでに名前も判明した。“ヒュンケ ル”と書かれたネームプレートが彼の首輪についていたのだ。人間の状態だと何故かシャツとジーンズというラフな格好だけで首輪は消えてし まうらしく、今まで気づかなかった。不思議な現象だ。 「何処かの飼い猫なの?」 問いかけると、ヒュンケルはフルフルと首を振った。面白い事にこの猫青年は人間の言葉は理解できるらしく、言葉は発さないがイエスノーで 応えられることについては頷いたり首を振ったりして答えてくれる。 「首輪ついてんのに?なんで?」 更に尋ねてみたものの、今度は小アジを咥えたままこてんと首を傾げられた。口からアジの尻尾がはみ出してる。くそ、可愛いなこの猫耳イケ メンは。もう飼い主がいるかとか、どうでもいい気分になってきた。 「……ま、なんでもいいか。それにしても、君だんだん汚れてきてない?」 ヒュンケルは二つ目の小アジを両手で持って我関せずとばかりに食べている。自分の外見には興味がないらしい。 「身体洗った方がいいと思うんだけどなあ……いつまでもこんな路地裏じゃあねえ」 小アジの唐揚げをサクサクと美味しそうに食べているヒュンケルを頭の上から下まで改めて見ると、ところどころ薄汚れて居るように見える。 服も汚れてきたし、座っている段ボールもなんだかへたっている。本人は一切気にならないようで、3つ目の小アジに手を伸ばしているけれ ど、私としてはせっかくのイケメンが薄汚れていくのを黙って見ていていい気分ではない。 「そうだ。ねえ、猫の姿になりなよ。そしたら家で洗って、もっと美味しいものも作ってあげる。ね、どう?」 美味しいもの、と言う部分に反応したのか、ヒュンケルは小アジを食べる手を止めて私の目をじっと見た。また口から尻尾がはみ出してる。く そ、本当にいちいち可愛い猫耳だなこいつめ。 そんなこんなで小アジを食べ終えた後、ついにヒュンケルは猫の姿になって私の腕に抱きかかえられたまま我が愛しのアパートにお持ち帰りと なった。が、彼は既にそのことを後悔しているようである。 「こら!暴れないで大人しくして、って、あーもう!」 ヒュンケルは猫の状態でバタバタと両手足を動かして、ニャーニャー喚きながら風呂場から逃げ出そうと硝子戸を引っ掻いた。微温湯を頭から 浴びた瞬間これだ。が、猫の足はつるつるした床で激しく動き回ることを想定してできていない。床を爪がカリカリ叩くだけで、銀の猫は簡単 に私の腕に捕獲された。 帰る途中で買った猫用シャンプーを使って柔らかい毛をわしゃわしゃと洗ってやると、最早抵抗しても無駄と腹を括ったのか、ヒュンケルは じっとして四足をタイルに踏ん張っていた。泡を流すと毛が濡れてぺたんこになってすっかり情けない状態になったわけだが、猫は洗うと基 本、こうなる。 びしょ濡れで銀の毛玉になった猫の彼をタオルで包んで脱衣所でしっかり水気を取り、出来る限り体を拭いてからリビングに離すと、ポフンと 煙を上げて青年の姿になったヒュンケルが恨みがましい目つきで私を見て、半乾きの頭をプルプルと振った。 が、猫じゃない上に見た目はイケメンなのでやたら可愛い。不思議なことに猫の状態から人間になったと同時に服の汚れも消えるかと思いき や、服は汚れたままだった。仕方がないので、時折泊まりに来る弟の寝巻を差し出して汚れた服を出すように指示する。 「その服も洗うからさ、こっちに着替えなよ」 ヒュンケルは私の言葉を理解したらしい。が、弟の寝巻を受け取ってその場で服を脱ぎ始めたので、慌てて脱衣所に押し込む。こんなところで 裸になられたら流石に猫耳男子とはいえ驚くってもんだ。イケメンだし。 着替えて出てきたヒュンケルは再びリビングに戻ってくると私のベッドに直行して、寝心地の良いところを探るように手でベッドの布団の部分 を押したり踏んだりし始めた。そしてそのうち身体を抱えるようにして横になり、ベッドの上で丸くなった。意味が分からない、と言いたいと ころだが、猫だとして考えれば納得がいく。猫は一番居心地のいい場所を見つけて寝るものなのだ。それを今私の目の前で、猫耳と尻尾のつい たイケメンがやっているというだけで。 っておかしいだろやっぱり。とは口には出さない。 猫が人間になったり人間が猫になったりする時点ですでにおかしいのだし。 「自由だわー……」 猫らしいと言えば猫らしい気ままな振る舞いに呆れつつ、ヒュンケルが寝ている間に夕食を作る。今日のご飯はブリの塩焼きとお味噌汁と白 米。ヒュンケルの分は味付けをかなり薄めにして、骨も身から取り除いてある。ご飯にも鰹節をかけて…ってこれ猫まんまだな。数十分後、 テーブルに並んだ夕食を前にして、ヒュンケルは機嫌良さそうに再び尻尾をゆらゆらと揺らした。 「フォークとスプーン、どっちでも好きなの使って」 どこまで猫でどこまで人間っぽいのかわからないので試しにカトラリーを差し出すと、ヒュンケルはスプーンを手に取ってブリに手を付け始め た。もしかしたら味噌汁は食べないかもしれないけど、食べないなら私が明日にでも味噌汁くらい片付ければいいのだ。 予想通り、ヒュンケルは味噌汁は飲まずにブリと猫まんまを綺麗に平らげた。嗜好はやはり普通の猫っぽいのかもしれない。ご飯を食べた後は 再びベッドに乗って丸くなって、うとうとし始めた。つくづく猫なイケメンだ。どんどん良く分からない存在になってきたけど、なんかもう可 愛いから私も気にならなくなってきた。 「泊まってく?」 他意は無い。単純に、あの汚れた路地で寝なくてもいいんじゃないかなと思ったから尋ねただけだが、ヒュンケルは私の質問にふるふると首を 振って、眠そうな目をしながらも猫の姿になった。 「自分で帰れるの?場所わかる?」 ヒュンケルは今度は猫の姿で頷いた。人語を理解する猫ってすごいなホント。どうなってんだろう。私が世界の神秘に想いを馳せながら部屋の 玄関を開けると、ヒュンケルはするりと廊下に飛び出して去っていった。 「……やっば、弟の服のままで行っちゃった」 明日路地裏に服持ってって着替えてもらおうっと。 |