(夢主視点)

修行三日目。明け方のダンス練習を終えて、朝食の後荷物持ちにヒュンケルを連れ、ランカークス村で食材や薬草の買出しに行った帰り 道、暗い雲が空を覆って森の中がどんどん薄暗くなっていった。
今にも降り出しそうな天候に足を早めてほんの数十秒後、スコールのように大粒の雨が降り注ぎ、木々を叩きながら森に露が舞う。

「うわ、きた!」

走ろうにも地面がぬかるんで上手く走れずにいると、目の前に雨宿りできそうな大木が見えた。二人して駆け込んで、体中に付いた雨粒を 払う。肩と頭はずぶ濡れで、ショートパンツだった私は足までびしょびしょ。ヒュンケルはというと、一応マントを掛けてきたので私ほど は濡れていないものの、頭はやっぱり濡れている。銀髪がしっとりと雨を含んで、濃い目のグレーに見える。

「…雨脚が弱くなるまで待つしかないな」
「だねー」

雨は激しさを増して、10メートル先も見えない。流石にこれではロンさんとダイも家の中に入っているだろう。こういう時は元の世界の 天気予報の大切さを思い知る。傘はこの世界にもあるけれど、木の骨組みに布を張って蝋を塗っただけで完全な防水加工ではないので結局 水が染みてくるのだ。防水加工をもっと研究して頂きたい。
折り畳み傘とかロンさんに言ったら作れないかな。なんとかしてあの頑固な鍛冶屋を便利屋のように使えないか考えていたら(超失礼)、 ヒュンケルがおもむろにマントを脱いで叩いた。


「ん?…わっ、」
「身体を冷やすといけない」

どうやら私の方が濡れているのを見て気を遣ってくれたらしい。自分のマントをわざわざ私に頭からすっぽりと被せてくれた。

「でもあんたが濡れちゃう」
「オレはいい……お前の方が大事だ」

あらら。またこいつイケメンな台詞無駄撃ちしたな。けれど確かに風邪を引いたらロンさんにも怒られるので、私は素直にマントを被り直 した。一枚あるのとないのとでは随分違う。首元が雨の湿気で肌寒かったのが緩和されて、なんとなく落ち着く。

「……ありがと。あとで暖かい飲み物でも作るね」

なんだかんだ、私は結構ヒュンケルを雑に扱っているのに、彼は優しい。不器用ながら気を使ってくれているのはちゃんと気付いている。 荒れていた1月ほど前まではこんなに穏やかじゃなかった。
徐々に人間らしくなってきたってことか。いい傾向だと思う。仲間の影響が大きいんだろうな。

「……止まないねー……」
「ああ」

パタパタと葉を叩く雨粒は大きく、木の下に居ても濡れはする。何もないよりマシなだけで手に雨の雫が落ちたりするとひやりと冷たい。 手が冷えてきたので摩っていると、ヒュンケルがそれを見て問いかけてきた。

「寒いのか」
「ん?ちょっとだけ」

素直に答えたら、水滴で濡れて冷えた私の手をヒュンケルがそっと両手で包んだ。やられた私は急な行動に驚いて表情は変えずとも呆気に 取られている。おいおいなんだどうするつもり?

「……」

少しかさついた掌から、じわりと熱が伝わってくる。私の指先を暖めようと摩ってくるごつごつした指は胼胝があるのか、ところどころ硬 くてざらついている。戦士の手ってこうなんだ、と妙に冷静に納得してしまった。

「えっと……ありがと……」

……いやちょっと待て、なんだこれ。私はなんでこいつに手を握られているんだ?心遣いは嬉しいけど恥ずかしいからやめて欲しい。人間 社会では女の子にこういうことを軽々しくやってはいけません、と言ってやろうと思って顔を上げたら、こちらを見つめる紫の瞳と視線が かち合った。


―――違う。


この目は友人や仲間に向けるものじゃない。


男が、女を、見る目だ。





気まずい空気をわざとらし過ぎない程度に受け流した翌日。鍋をかき回しながら思考に耽る。
まさかな、と思ったけど、よくよく考えると思い当たることが多すぎる。いい友人になれてるつもりがあっちはそう捉えてはくれなかった のか。でも普通あれくらいで…ん?普通…あっ。

「あいつ生い立ち普通じゃなかった…!!」

そうだよね、そうだよね!同年代の女友達なんて私しかいないんだから軽いノリで寄って行けば勘違いするか!
うわーやらかしちゃったかな。

自惚れだと思いたいけど、あの視線の多さとスキンシップは8割当たってる気がする。一体何度修行中に目が合ったことやら。やたら家事 を手伝ってくるし、行くとこ行くとこくっついてくるし。そういえばパプニカでも一人で事務室に夜中に訪ねてきた。あれはもしかしたら ラーハルトのことを気にしていただけじゃなくて、彼と私の関係を知ろうとしたのかもしれない。極めつけは昨日のアレだ。ちょっとド キッとしちゃった。

もし本当に好意を持たれているとすれば、優しくしすぎたんだろうか。ダイ達との戦いの後で弱ってた彼を傷つけないように接して気 遣っていたのは、彼に早く心の傷を癒して社会復帰して欲しかったからで、決してそんなつもりでは無かった。

とはいえ8割くらいしか自信はないから、今は決戦に向けての準備を優先しよう。死んだら先も何も無いもんね。ヒュンケルも修行は真 面目に頑張ってるから、まだ大きなアクションを起こすほどの段階じゃないんだろう。

「何をぶつぶつ言ってやがる」
「!ロンさん」
「今日の飯は?」
「トマトと挽肉のソースのリゾット、鶏の素揚げのビネガーソースがけ、ナッツと薬草のスープです」

ロンさんが料理場の私の隣で鍋をずいっと覗き込む。こういう時は味見がしたいのだと知っているのでスプーンにリゾットを一掬いして口 元に運んでやる。美味しいとか味が薄いとか感想は一切無いが、まずかったら文句を言うだけの人なので、ロンさんが無言で頷いて踵を返 すのを確認すると再び調理に戻った。無言は問題ないってこと。

「果物も付けてくれ」
「はーい」

リクエストに答えながら振り返ったら、ヒュンケルがキッチンの入り口でこっちを見たまま棒立ちになっている。

「どしたの固まって」
「あ……ああ。水を貰いにきたんだが……」
「んー。ちょっと待ってね」

鉄のコップに水瓶から水を汲んで手渡してあげると、気まずそうに目を逸らされた。昨日はじっと見つめてきていたのに。あれかな、恥ず かしいのかな。

「… 、」
「なに?」
「お前と……ロン・ベルクは……」

あ、こいつ。もしかして私とロンさんのやり取り見て固まったのか。そりゃ一見すれば夫婦っぽいかもしれないけれど、私たちの関係は夫 婦ではなく、どこまで行っても家主と居候で男女の関係なんて一切無い。

「もしかしてだけど、私とロンさんが恋人だなんて思ってないよね」
「……違うのか?」
「ないないないないないない」

やっぱりな彼の予想に私は全力で首を振った。そんな物騒な想像はやめてほしい。
あの人鬼だから。私何回も死に掛けてるから。無理難題しか吹っかけてこないし、これで恋人になったら遠慮がなくなってすぐ死ぬ!と力 説したら、ヒュンケルは何がおかしかったのか小さく笑った。

「いや笑い事じゃないって。いい加減私の性別思い出して欲しいよ」
は十分魅力的な女性だ」
「みっ」

ああ、まただ。
こいつはまた自分のイケメンを無自覚に無駄に発揮している。

「んー嬉しいけど……そういうのは本気で惚れた女だけに言いなよ。世の中変な女だっているんだから」
「…何かおかしかったか」

えええ。おかしいおかしくないのレベルを聞くか。
なにこれアプローチ?判断つきにくいな…一般論を教えてあげるに留めておいた方がいいのかな。

「自覚はないと思うけど、あんた女にモテる顔なの」
「……特別そう感じたことはないが」
「主観じゃなくて客観的な話」

人間社会から隔離されて生きてたからだろう、ヒュンケルは無口で無愛想だから一見してわからないけど、中身が純粋すぎて悪い女に簡単 に引っかかりそうな危なっかしさがある。コレ放置していたら、いずれ変な女に目を付けられて謀られて既成事実を偽装されて借金と自分 の子供じゃない子供押し付けられたりするんじゃないの?全体的な不幸度だけなら仲間内の誰よりも数値高いからな。

「親切にされただけでさっきみたいな事を言ったら、一方的に勘違いしちゃう女の子もいるの。わかる?トラブルは嫌でしょ?」
「勘違い…」
「そのつもりがないのに恋されるってこと」
「…………オレは愛されるような男では」
「だから客観!あんたの気持ちは置いといて客観!聞け!」

おたまを振って強めに言うとヒュンケルは困り顔で目を泳がせた。真面目に聞いてんのかな。人間は綺麗なところばっかりじゃない事くら い、バランとの戦いでわかってるはずなんだけど。もしかして女の人は綺麗で無害なものだとでも思ってるのか?違うよ違うよー女って怖 いんだよー。私だって結構肉食なんだぞー!

「そんなんじゃ予想だにしてない所から女の子に迫られて大変なことになるよ」
「わかった…」
「ハイよろしい」

全く、こんなの普通に生きてたら10代後半にはわかってることなんだけど。ヒュンケルに責任は無いとはいえ、もう少し人間との関わり 方を覚えさせてあげないと心配だ。水を飲み終えて修行に戻っていったヒュンケルの後姿を見ながら、無造作に置かれた空になったコップ を洗い場に片付ける。

ま、女側があんまり言うのも良くないか、面子とかあるもんね。ヒュンケルがいない時にこっそりロンさんにご指導をお願いしよう。



(ヒュンケル視点)

。お前の番だぜ」

修行中、オレとダイが休憩に入ると、入れ替わりで がロン・ベルクに呼ばれた。

「はーい」

ちょうど洗濯物を干し終えた彼女はロン・ベルクの前に立ち、ブーツを鎧化して身体を浮かせた。鎧とは名ばかりのほとんど骨組みだけの 装備だが、ここまでしないと飛行可能な状態にならないらしい。

「鈍ってたらぶっ飛ばすからな」
「こっわ……お願いします」

酒瓶を煽って蓋を閉めた家主に、 は苦笑いして一つ礼をした。一呼吸後、ロン・ベルクの剣が一瞬で彼女に迫り、横薙ぎに振られた刃を彼女が上体を反らして避ける。舞った黒髪が数本、剣先 を掠めて切れた。



さんの動きってキラキラしててキレイだよね」
「ああ…」

ダイの言うキラキラというのは、彼女がブーツに組み合わせている氷系呪文による氷の結晶のことだろう。真空呪文だけでは威力が低い、 との理由で彼女はブーツに内蔵されている真空呪文の効果に上乗せして氷系呪文を纏わせている。光って見えるのは空気中の水分が冷えて 凍った結晶が光を受けて煌くからだ。
火炎を使えばより威力が高まるのに使わない理由を聞けば、 曰く「髪の毛焦げちゃうからヤダ」とのことだ った。理由としてどうなのかとも思うが、いざという時は躊躇わないのを前回の戦いで知っているから何も言わないでおいた。

彼女の飛行しながら戦うスタイルは舞踊の要素を取り入れていると聞いた。
ロン・ベルクの猛撃を紙一重でかわし続ける柔軟さと俊敏性は天性のものだろう。また、常時でないにせよ飛行時の瞬間的な最高速度は ラーハルトのそれに追随するかもしれない。
但しパワーも闘気も無いため、機動力と変則的な動き、魔法力でカバーした足技で補っている。彼女の動きは独特で、次にどう動くかの予 想が全くつかないので奇襲としては有効だが、前述の欠点があり一撃で強敵を仕留めるのは難しい。

機動力を生かした戦い方はラーハルトに近いが、ヤツと違って には一度技を回避されると大きな隙ができ、自身がダメージを受ける欠点がある。ラーハルトはそれを槍捌きの技術でカバーしていたが、 には技術が無い。また衝撃波を繰り出せるでもなく、使用している武器はヒールと手甲のブレードのみ。
これらの点からして、彼女の戦闘スタイルはロン・ベルクの説明どおり後方支援に特化していると言える。

しなやかで華麗な動きは美しく、見るものを魅了する。レベルの低い敵ならば戦意すらも喪失するだろう。
本業は踊り子のようなものだと彼女自身が話していたとおり、踊りの要素が大きく生きている。
白い線を描きながら氷の結晶を煌かせる姿は、まさに天空を舞い踊る“白銀の踊り子”に相応しい。
とはいえ、折角の二つ名を本人が嫌っているからオレも口にすることはない。似合っているのに。


「気ィ抜いてるんじゃねえッ!!」
「ぎゃん!!?」

連日の特訓で疲れが出ているのか、速めに体力が切れた はロン・ベルクの気合の入った蹴りを食らって地面に落ちた。本当に女相手でも容赦が無い男だ。 が「性別を思い出してほしい」と言っていた理由もわかる。

「情けねえな。まあいい、飯の準備に入れ」
「ちょ、ちょっとくらい休憩させ」
「ああ?」
「イエッサー!キッチンに行って参ります!」

居候している以上大きく出ることが出来ない彼女は、容易にロン・ベルクに脅されてキッチンに走っていった。直後に今度はダイが呼ば れ、手が空いてしまったオレは暫くダイの修行を見ていたものの手持ち無沙汰になり の後を追ってキッチンに入った。

はエプロンをして鍋を火にかけている。調理台に向かう彼女の後姿は優しい家庭の一場面のようで、眺めていると心が安らぐ。
後ろに立つと長い黒髪からうっすらと甘い花のような香りがした。いつも彼女がつけている香りだ。

「手伝おう」
「そう?じゃあ野菜の皮剥いてくれるかな」

彼女の隣で流れる時間は、とても温かく心地良い。鍋で湯が煮立つ音、包丁のリズミカルな音、料理の匂い。
雨の中で握った彼女の手は柔らかく温かかった。
戦禍の中だと言うのに、オレに願う資格などない幸福が、こんなにも易々と傍にある。
安らいでいられるのは今だけだと言い聞かせて、手の中の野菜の皮を剥くことに徹する。
この幸せに慣れてはいけない。
願う事すら許されてはならないのだ。

「ワイン投入〜!」
「酒を使うのか?ダイはまだ飲めないだろう」
「熱でアルコール飛ぶから平気。ワインで煮込むとコクが出て美味しくなるんだよ」

が得意満面の笑みでこちらを見上げた。
鳶色の瞳にはオレが映っている。
償いきれない罪を背負ったオレとは違う、優しい瞳だ。

もし、オレに誰かと共に生きることが許されるなら。

「初めて知った?」
「ああ」
「なら、いつか奥さん出来たら作ってもらいなよ」

もし、叶うのなら。

「……そうだな。いつか……」

“いつか”など来ないとわかっていても、夢を見るだけなら、許されるだろうか。