暗闇に落ちていく。
体の感覚が無い。
浮遊しているようだ。
この感覚は前にもあった。
白い空間を水の中を沈むように漂う感じ。
ああ、そっか。
思い出した。
私はあの日、バンジージャンプの金具が外れて、川に着水かと思ったら落下地点に小さなコンテナ船が来て、頭から甲板に叩きつけられて死んだ。
即死だった。
あんまりにも一瞬で覚えていなかった、そりゃ帰れるわけないよね。
だってもう死んでるんだから。
あーあ、今更思い出してどうすんの、これ。
それじゃここは死後の世界なのかな。
死後なのに、こんなに痛みも苦しさもリアルなんて冗談キツイわ。
もう一度死んだらどうなるんだろう。
天国に行くのか、魂やそういうものが、そっくりそのまま消えてなくなるんだろうか。
帰ろうと思って頑張ってた日々の事も、ここで出会った人達の事も忘れて?
元の世界の友達の事も、大好きだった父親のことも消えて?
追い続けた夢も、磨き続けた踊りも、全部チャラになる?
それで納得できる?
ねえ、私は。
納得の行く人生だったって、笑って死ねた?
……んなわけあるか!
ごぼ、と唇から息が漏れた。白い空間が一瞬で消え去って、濃紺の闇の中に引っ張られる。
深海にいるようで、透明な黒い闇を浮遊しているようで、上も下もわからない。
開いた視界の端で小さな明かりが見えた。オレンジの光。大事なブーツの、魔法石の色。
どんどん溺れる。どんどん沈む。どこに?闇に?
沈んで堪るか、ちくしょう!
夢中でもがいて光の方へと闇の中を泳ぐ。
こんなダサイ死に方あるか。
私は舞台で笑って踊って死ぬって決めた。
ここが死後の世界だろうがなんだろうが関係ない。
あいつにも言ったんだ、後ろは任せろって。
大口叩いといてこんなところでジ・エンドなんてかっこ悪すぎる。
なによりダンサーの夢に掠りもしないで死ぬなんて御免だ。
そりゃあ私は弱いし、死んだって前で戦うあの子達にとっては大した戦力減にはならない。
だけど弱いなりに築き上げてきたものを無駄にしたくないんだ。
ここまで繋げてきたものをナシにして闇に沈んだら、きっと生まれ変わっても、ろくでもない一生しか送れない。
踊ってやる。
生きて、もう一度夢のために走るんだ。
地上がどうの大魔王がどうの知ったこっちゃない。
どこにも帰れないなら、もう残ってんのは踊りしかない。
この夢だけは奪わせやしない。
絶対に、何があっても手放したくない!
光が近くなる。
水面が明るく揺れている。
身体が浮上する。
オレンジの温かい光が、私の身体を包んで弾けた。
*
松明の火が揺れる。暗い牢の中では時間の流れすらわからない。目覚めたら既に両手足を拘束されて立たされた状態だった。
バーンの強大な力に完敗したオレ達は、戦いの後、散り散りになってしまった。バーンに囚われたのはオレとクロコダインのみだ。ダイ、ポップ、マァムの安否は不明だ。簡単に死ぬはずはないとは思うが、情報は全く入ってこない。隣でクロコダインが呻いた。立っているだけとはいえ、捕虜として囚われて昼夜もわからない状態では、身体は安まるどころではない。
に貰った回復薬の鎮痛作用はとうに切れている。骨が軋むようだ。彼女はどうなっただろう。バーンに敗北した事を知っているのか。知らぬままに、攻撃を受けたりなどしてはいないだろうか。柔らかそうな黒髪の後姿を思い出し、最悪の事態に陥っていない事を祈る。
どれくらい時間が経ったかもわからない。暗い牢に一つの足音が響いた。
「はぁ〜い。お元気かなァ?」
「…死神…!!」
「キルバーンか…!」
闇の中から姿を現したのは、魔王軍で死神の二つ名を持つ男だった。不気味な空気を持つ異様な出で立ちの男だが、底知れぬ力を感じる。何よりこの男はミストバーンが認めたバーンの側近でもある。
「何をしにきた…!」
クロコダインが睨みつけると、キルバーンは仰々しく首を振って見せた。
「ヒドイなァ。せっかくニュースを届けに来たのに、ねぇピロロ?」
「ホーント!邪険にされるなんて傷ついちゃうよねぇ〜!」
芝居がかった話し方が癇に障る。
動けないまま黙って睨みつけると、キルバーンは肩を竦めてにやついた目でこちらを見ながら言った。
「なぁに、大した情報じゃないよ。ただキミの大事な踊り子さんも行方不明なんだって、サ…」
「……!」
踊り子。
思い当たるのは一人しかいない。
彼女が行方不明。
どういうことだ。
思考が停止して混乱する。
この男は何を話している?
「戦場の近くをうろうろしてたみたいだから、爆発に巻き込まれて死んじゃったのかもね〜キルバーン?」
「ホント、可哀想だよねぇ……おっと、無神経だったかい?」
「貴様…彼女に何をしたッ!!」
拘束されていながらも身体が怒りで動く。枷が無ければこの男に食ってかかったに違いない。枷に阻まれて身動きの出来ないオレを愉快そうに嘲笑い、キルバーンは姿を消した。
何も出来ない自分が情けなくて腹立たしい。
「…のことか……」
クロコダインが呟いた。
「……戻る所を確認しておくべきだった。オレのミスだ…!」
いつもそうだ。肝心な所で彼女を守ってやれない。傍に居れば身を盾にしてでも守るつもりでいるのに、この手はバランとの戦い以来、彼女を守れずにいる。ロン・ベルクの下で修行のために過ごした数日が幻のように感じる。
「ヒュンケル、自分を責めるな。はしたたかな女性だ、行方不明というだけならば居所が掴めていないだけの可能性も十分にあるだろう」
「だが…!」
それでも行方が知れない理由など見当もつかない。死神の冗談だと思えれば楽かもしれないが、冗談で済む状況ではない。あの場に一人残った彼女に死神が危害を加えた可能性がある。苛立つオレに、クロコダインは深い声で諭すように話す。
「信じるのだ。こう言ってはなんだが、オレはタフさだけならば彼女もお前と似たり寄ったりだと思う」
「……は強くはない…!」
「だが悪運も強い。それに頭が切れる」
「っ…!」
「これまででも生き延びてきたのだ。きっと無事でいるさ」
そうだ。
彼女は狭い病院の倉庫で言った。
オレ達が前に進む限り、自分も笑って進むと。
舞台では何があろうと倒れないと。
今はただ、彼女の生存を信じるしかない。
、オレが生まれて初めて心から愛した女性。
『よーし、シチュー完成!』
ただ傍に居られるだけで幸せをくれる、何もかもを受け入れてくれる海のようなひと。
『味見する?はい、どーぞ』
戦いになど戻ってこなくていい。柔らかい手に傷などつけなくていい。
『あんた無茶ばっかするんだもん。おいしいもの食べて、元気になってもらわないとね』
どこに居てもいい。
『困った男だわ、ほんっと』
お前が笑顔でいてくれれば、それだけでいいんだ。
*
腕から伝わる底冷えのする寒さで目が覚めた。眠っていたんだろうか。キルバーンに襲われて、死の大地で物凄い爆発が起きて、巻き込まれて、その後の記憶が所々飛んでいる。生き延びる事ができたのか。数回瞬きをして眩しさに慣れながら焦点を合わせると、水色の壁らしきものが目に入った。見慣れない色で、指で触ると冷たい。これは氷だ。ドーム上の小さな氷の家に寝かされていたらしい。やたら寒い。
ブーツは脱がされて、頭の横に置いてあった。
「…………?」
ゆっくりと体を起こすと、頭がずきりと痛む。
自分が元いた世界で死んだという事実は、未だに夢を見ているようで現実味が無い。あの時の状況を思い返せば真実だろうけど簡単に受け入れられる話じゃないし、この場所で変わりなく生きている自分が居る理由もわからない。何がどうなっているんだろう。頭痛で思考が邪魔される。起き上がって頭にホイミをかけて押さえていると誰かの気配がした。
「あっ!ちょっとでろりん、起きたわよー!」
女の人の声だ。頭に高い声が響いて痛む。眉を寄せながら痛みに耐えて顔を上げるとゲームみたいな(あ、これドラクエだからゲームか)タイツに僧侶服の女の人が立っていた。どっかで見た気がするんだけど。と思っていたら、彼女の後ろからこれまたゲームみたいな勇者っぽい格好の男が顔を出した。
「うおおっ!良かった、目が覚めたんだな!」
「えっと……?」
「オレだよオレ、ほら、ロモスで会ったろ!?」
ロモス……ロモス?あっ。
「……ああーー。火事場泥棒!」
「あっ、うん、その覚え方ひどくね…?」
火事場泥棒は火事場泥棒だよ。文句があるならやるなよ。というのは今言っても現行犯じゃないから意味が無いので、まずは状況を把握しよう。
「何であんたが…っていうかここ何処?寒っ、」
あまりの寒さに二の腕を摩ると偽勇者が答えた。
「ここはオーザムだ。あんたは氷山に乗って漂流してたんだよ」
「氷山……ってオーザム!?」
オーザムって、死の大地から東に向かった場所にある北国じゃないか。何でこんな遠い所にいるんだ私は。氷山で漂流、ってことは、あれからもう何日も経っているってこと?皆はどうなったんだろう。
「ね、ねえ!私何日寝てた!?」
「え?まだ半日しか経ってないけど…」
「一体何日漂流したんだろ…そうだ、誰か死の大地の方で何かすごい音したのってわかる?」
「ああ、それなら2日前だ」
2日前、という事はあの日の戦いは終わっているはずだ。
結果はどうなったんだろう。皆、無事でいるんだろうか。
居ても立ってもいられず氷の家から外に飛び出して、眼前に広がる光景に目を疑った。
「…!?なに、これ…!?」
吹雪の中に聳え立つ巨大な柱が、暗い雪の雲を貫いていた。
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