(フローラ視点)
上空の大魔宮は浮遊したまま動かない。ザボエラも倒し、ミナカトールの魔法円も守りきった。後はダイ達の帰りを待つのみだ。クロコダインとチウとオバケのような人物が上がってから一時間程度は経過している。エイミの手がメルルの回復で塞がっているため、兵士たちの回復はほとんど進んでいない。けれどこの場がどうあれ、上にいる彼らが勝利しなければ終わりだと考えていい。
昨夜仲間の陣営に加わってくれたロン・ベルクが、私にだけ話してくれたことがある。それは行方不明とされていた女性に関する情報と、彼女が姿を消していた理由だった。彼曰く、生き延びた彼女は大魔王の仕掛けた罠に気づき、密かにそれらの破壊工作を行っていたという。破邪の洞窟で聞いた時は面白そうだと思ったけれど、どうやら予想以上に肝の据わった人物らしい。
時間的には既に大魔宮に行き、仲間と合流していてもおかしくない。合流したら彼女は戻ってくる予定だと言うから、問題なく工作が済んでいれば直に戻ってくるはずだ。
ところでレオナ曰く、という女性はヒュンケルの想い人とのことだけれど、彼を愛する女性がここにも居ることを知っているのだろうか。ミナカトールの時のポップやメルルといい、エイミといい、かつて勇者と呼ばれた彼の遺志を継いだ彼らは中々に面白い人間模様をしている。若さゆえ、だろうか。たった一人を待ち続けて時間だけが過ぎてしまった自分には、少し羨ましい。
彼女が合流したら上の状態を確認して、この場から離れるタイミングを考えなければならない。
何故ならこの場所が近いうちに破壊されることは、私だけがロン・ベルクから知らされているのだから。
*
(ヒュンケル視点)
眩しい光が瞼を通り抜けて、意識が暗い所から引き上げられる。幾度か瞬きを繰り返すと、視界にヒムとクロコダイン達の姿が移りこんだ。
「目が覚めたみてえだなっ…!」
「…ヒム…みんな……」
どういうことだ。オレは力尽きて果てた筈だというのに、身体にはダメージどころか傷すら無い。
「オ…オレは…?」
「ビースト君が回復呪文治療を続けてくれたのだ!」
「来た時にはほとんど終わってたからあんまり要らなかったけどね〜。ただ一気に回復させすぎたおかげで、さっきまで目覚めなかったみたいだ」
チウが得意げに話して、不思議な格好の人物が飄々と説明した。状況が上手く飲み込めない。
「痛む箇所はあるかね?」
「…いや…」
「ふむ…だがあまり無茶はしないほうがいい。次に生身でオリハルコンを砕いたりなんかしたら再起不能になるよ」
オリハルコン。そうだ、オレはヒムと戦い、マキシマムが来て、ラーハルトが―――
『まだ眠っちゃダメ…!』
そうだ、彼女が来たのだ。
「!は…!」
「ああ。そこで寝てるぜ」
ヒムに指差された方に目を向ければ、通路の壁に凭れて眠っている愛しい人の姿があった。
最期の戦いになると覚悟してマキシマムに向き合った時、彼女は華麗な一撃と共に空から降り立った。オレが倒れても戦士としての役割を託すに相応しい男を連れて。
「彼女は君の回復に全魔法力を使い果たしてしまったからね。休ませていたんだよ」
「あの姉さん、ずーっとお前に回復呪文かけまくってたからな」
「……オレに……?」
立ち上がって傍に近づくと、彼女の規則正しい寝息が聞こえてきた。膝をついて顔を覗き込むと、長い睫毛が目元に影を落としている。熟睡するほど疲れ切るまで力を使ったのか。先の戦いの事を考えれば残して先に行くべきだったはずだ。死の大地で彼女を危険な目に合わせたのは他でもないオレだったというのに、こんな男のために力を使うなど。
罪悪感と嬉しさの入り混じった不思議な感情が湧き上がってくる。彼女の笑顔を見ることができる、それだけで生きる喜びを感じてしまう。彼女があれから何処にいたかなど関係ない。生きていてくれただけで力が湧いてくる。
頬にかかった髪を除けてやると、は睫毛を震わせて目を開き、数秒瞬きを繰り返した。
「…………………………っえ!?!?ったっ!?」
目が合ったと思ったら、が飛び上がって通路の壁に頭をぶつけた。痛そうだ。
驚かせてしまったらしい。
「大丈夫か…?」
「だ、だいじょぶ……じゃなくってっ!クロコダイン!こいつが起きる前に起こしてって言ったじゃない!」
「まあまあいいじゃないか」
「なっ何も言ってないよね!?私、あの、お昼寝してただけなんだから!」
「ウソこけ、あんた半分泣いてただ「おっと脚が滑ったー!!」ぐえっ!」
目覚めるなりはクロコダインに文句を言うとヒムの顎に華麗な蹴りを決めた。立ち上がった姿は相変わらずの凛とした姿勢だというのに、顔を真っ赤にしているのは何故だろう。
「……」
「その、ね。ついうっかり魔法力の調整間違えたって言うか?決してパニくったとかじゃないし?」
恥ずかしそうに視線を逸らして、片手を腰に当て、もう片方の手の人差し指で髪をくるくると弄っているのは本当にいつも余裕に満ちた彼女だろうか。普段は堂々と目を合わせて来るというのに、今のは目を泳がせて頬を染めている。
「……まっ、紛らわしいあんたが悪いんだからね!」
可愛い、と思ってしまったのは、許してもらいたい。
*
(夢主視点)
目が覚めたらヒュンケルとばっちり目が合った。びっくりして色々漏れ出てしまって、悔しくて苦し紛れに逆ギレしたら半端ないイケメンスマイルを返されて更に恥ずかしい思いをして納得行かない。死んじゃうかも、と思ったから魔法力全解放で一生懸命回復したのに、ちょっと休憩してた私より先に起きるとかどういう身体構造してるんだか。こいつの骨格こそオリハルコンなんじゃないの?
腹が立ったので置いてあった剣を持ってきた。まだ布に巻かれていたところを見ると、中身が何か判らなかったから誰も手を付けていなかったんだろう。地面に突き立てて布を解いて見せると、皆の目が驚きに見開かれた。
「こっ、これは……!」
「まさか…鎧の魔剣なのか!?」
「ふふん。その通り」
うん、いい反応だ。これが見たかったんだよ私は。
「しかし…魔剣は砕けたはずでは……」
「うん。だからロンさんに頼んで新しいの作ってもらっちゃった」
「頼んだ?」
「そ。だってラーハルトに槍渡しちゃったらあんたの武器や鎧が無くなるでしょ?彼が仮で使ってた槍はあるから、あんたなら槍だけでも良いって言うと思うけど、やっぱり鎧ナシは危ないじゃない。で、せっかく鎧付けるならいっそ慣れた剣の方がいいかなーって」
ヒュンケルが私の顔を武器を交互に見る。どう反応すれば判らないという感じだ。ふふふ私の用意周到さに感動するがいいよ無計画なおばかさんめ。まあ普通死んだはずの持ち主が生き返ってくるとは思わないもんね。優越感に浸りながら、更に布の中から小さな包みを取り出してヒュンケルに手渡す。
「それとこれ」
「?」
「極薄だけど衝撃耐性強いから着ておいて」
こちらはずるぼんにお願いしてこっそりベンガーナで手配して作ってもらったアンダーウェア。衝撃耐性の強い蜘蛛の糸を使用していて薄いのに物凄く頑丈なのだ。これはベンガーナでお仕事してた時に知り合った商人さんのオススメ新商品に使われていた、耐荷重がずば抜けていて柔軟性も最高ランクの生地素材を思い出して特注した。ラーハルトにも着てもらっている。人脈ってこういう所で活きるから大事。マァムとポップ、それにダイの分もあるから、ついでにとクロコダインに渡しておく。
「きっちりしとるもんだなあ」
「ここまでやっての裏方ですの」
褒められて気分がいいのでドヤ顔で調子に乗っていると、手早くアンダーウェアを身につけたヒュンケルが新しい魔剣を構えて鎧化した。
鞘が変形してヒュンケルの身体を覆う。デザインそのものはあまり変わっていないけど兜は付いておらず、重量も以前のものに比べると軽量化されている。防御力が落ちたわけではなく、材料に少しブルーメタルを混ぜたので寧ろ軽量化した上に防御力はアップしているという優れものだ。クロコダインが鎧化した彼の姿を見て歓声を上げた。
「おおっヒュンケル!」
「!…軽い…」
「ブルーメタルっていうのを混ぜたんだって。軽量化されてても強度は上がってるから安心していいよ…って、私が作ったわけじゃないけど」
鎧に覆われた姿は精悍で、改めてこの同い年の男が戦士なんだと実感する。一度は倒れた彼を再び戦地に送り込むなんて酷い女だって自覚はある。だけどどうせこいつは止めても行くだろうし、きっとまだ戦おうとする。だったらせめて生還できるように出来る限りの事をしたい。この先は、私の戦力じゃついていけないから。
新しい鎧と剣を満足げに見つめていたヒュンケルは、不意にクロコダイン達に告げた。
「クロコダイン。皆と先に行ってくれ」
「む?」
「ああん?何言ってんだ、おめえは…」
「すぐに追いつく」
「…うむ、構わん。先に行こうではないか」
ヒュンケルの急な申し出に不満を漏らすヒムはクロコダインが宥め、まとめ役の彼は皆を促して引っ張って行った。
「さあ行くぞ皆」
「ええっ?でも…」
「ホラホラ行くよ〜ん」
状況をわかっていないチウもオバケみたいな人に引っ張っていかれて、あれよという間に私とヒュンケルだけが残された。私も離脱するつもりなんだけどいいのかな放置で。それもどうかと思うんだけど。
「…どしたの?もしかして敵とか…」
私の質問にヒュンケルは、いや、と呟いてこちらを真っ直ぐに見つめてきた。
「……お前に話がある」
風に乗って届いた声が、静かな熱を孕んでいる気がした。
*
(ヒュンケル視点)
「話って…」
向き合って立ったオレに、は風に靡く髪を押さえて尋ね返した。
風向きが変わり、彼女の居る側から緩やかに風が吹き付けてくる。甘い花のような香りが鼻腔を擽る。牢の中で何度となく思い出した愛しい女性の香りだが、これに酔っている場合ではない。
「……死の大地でお前を危険な目に合わせてしまったことを…謝らせてほしい」
「えっ…」
はオレの言葉を聞き、丸い瞳をぱちぱちと瞬かせた。
「死神がお前を手にかけようとしたと聞いた。帰還を見届けてから離れるべきだった……怖い思いをさせてすまなかった」
「やだ、謝らなくていいよ!自己責任だし、結果的には無事だったし」
「結果論ではない。非はオレにある」
「けどあんなの不可抗力で…」
「…聞いてくれ」
いくら彼女がオレの所為ではないと言ってくれようとも、納得できるはずもない。
「オレ自身が自分を許せないのだ。守りたい人を危険に晒すなど、あってはならなかった」
彼女は死神に殺されかけた。自分の手落ちで、二度と覚めぬ眠りについてしまうところだった。
自分自身への怒りと情けなさ、そして彼女を失うかも知れないという焦燥感以上に、彼女が味わった苦痛と死への恐怖を思えば謝って済む話ではない。
「…ヒュンケル…」
が戸惑いながら名を呼んだ。
「…お前はかつてオレに言った。後ろは任せて、前に進めと。あの時は純粋にその心遣いが嬉しかった。迷わずに行けと背中を押してくれる言葉が勇気をくれた……だが、」
けれどこの胸を突いてくれた拳は、マァムのように鋼鉄を砕くことなどできない。
魔翔脚の刃は巨体の敵に立ち向かうには小さすぎ、彼女が放つ攻撃呪文は今やここでは使い物にならない。
代わりに優しい手で癒しと温もりを与えて、笑顔で多くの人を繋いで、前を歩く仲間が何も考えずに戦いに集中できるように傍で尽くしてくれていた。振り返ることもなく彼女を手放して、危険に晒して初めて、過ちに気付いた。
「ただ戦うだけでは不十分だったのだ。後ろにいるお前を守れなければ、この手がどれだけ敵を屠っても意味が無い…!」
「そんなことない、」
「」
独白を静かに聞いていた踊り子は小さく首を振り、再び優しい言葉をかけようとしてくれる。その優しさに甘えた結果がこれだというのに、彼女は恨み言の一つも言わない。細い両肩に手をかけると、彼女の視線が真っ直ぐにこちらに向いた。
「…オレは誰かを幸福に出来る男ではない…それでも……守りたい人を守れる男でありたいと思う」
「……守りたい人って……、…」
彼女の呟きは風に攫われてしまったが、唇の動きで理解できた。だれ、と聞いたのだ。
オレにとって一人しかいない。
視線を合わせたまま鎧に覆われた指で彼女の頬に触れると、の目元が微かに赤みを帯びた。
「――オレは一人の男として……お前を守る者になりたい」
生きて戻れるかどうか未知数の戦いで、この身が果ててしまうなら。
彼女を愛していた男が居たことを、どうか記憶に残して欲しい。
バーンと刺し違えても構わない。愛する人の心の中で生きていたい。
「、お前を…――」
風が一際大きく吹きつけた。
「あっ…!」
「…!」
煽られてよろけた体を咄嗟に抱きとめて言葉が途切れ、不自然に間が空いてしまった。抱きとめた温もりを手放せずにいると、俯いていたが顔を上げ、すっと唇を寄せた。
「………!」
頬に触れたのは柔らかい唇だった。
驚いて呆然としていると、はオレの腕を優しく解いて、ゆったりと微笑み、囁いた。
「……続きはバーンを倒してから……ね。」
ああ。
これだ。
甘く優しく、届くようで届かない熱。
これにやられたのだ。
捕まえたと思ったらすり抜けて、こちらに来いと手を叩いてオレを引き寄せる、残酷で愛しい女性。
「私は下に退避する。これ、ポップに渡して」
「…わかった…」
細く巻いた小さな紙を手渡され、言われるがままに受け取って頷く。いつの間にか彼女のペースになっているのが可愛さ余って憎らしい。複雑な感情をどうしようもなく眉根を寄せたオレの口元に、細く長いの人差し指がそっと触れた。
「勝って、帰ってきて…さっきの続きを聞かせて。……今度は誰にも邪魔されない場所で」
しっとりとした甘い声はまるで夢魔の誘いのようだ。
「……!」
伸ばした手を羽根のようにすり抜けて、彼女の脚が風を纏い、細くしなやかな身体が宙に浮く。白銀の踊り子と呼ばれるに相応しい、鮮やかで美麗な姿。
「――…待ってるから。」
風に靡く黒髪から花の香りを微かに残して、愛しい人は空に飛び立った。空中に散る細かな氷雪の粒が陽光に反射して輝く。踊り子の仕事に誇りを持っている彼女は自分がいる場所を舞台と呼ぶ。故に彼女は戦場でも美しい姿を魅せる。敵もいないのに氷系呪文を纏っている理由はそれしかない。
後続の敵は全てオレが絶った。残る敵もバーンのみとなった今、空中で他の何かに襲われる事も無い。目視できる場所ならルーラで移動できるのだ。数秒後には彼女は谷に着くだろう。間違いなく安全な場所に移動するのを見届けられたことに安堵する。今度こそ、彼女は戦場から無事に離脱した。
片手で顔を覆って深く溜息をつく。
勝利以外の選択肢は、子供のような口付けとしなやかな指先ひとつに奪われた。これでバーンと刺し違える方法は取れなくなった。自分の命も守りながらバーンを倒さない限り、彼女に想いを伝える事も意味深な行動の理由も聞けないままで終わる。恋しい人に待っていると言われて帰らないわけにはいかない。
剣を振るう。抜き身の刀身の重さが懐かしい。彼女に癒してもらった身体は力が漲っている。
足を戦地に向けて走り出す。戦いの終わりは遠くない。彼女が届けてくれた剣と鎧があれば、負ける気はしない。
|