(クロコダイン視点)
「旅に出たあ!?」
「そうらしいのよ〜…」
早朝、午後からサミットが開催するという事でなんとなしに仲間達で城の広間に集まっていると、レオナ姫がなにやら不機嫌そうに近づいてきて衝撃のニュースを伝えた。驚きを隠せない仲間たちに対して姫は米神に手を当てて溜息をついてみせた。
「どこにだよっ!?」
「なんで突然!?」
「挨拶もしないで行っちゃったの!?」
「行き先は不明。書置きだけ残ってたわ、今朝を起こしに行った侍女が見つけたものよ」
混乱して詰め寄ったダイとポップ、マァムに向けて、姫が懐から取り出した紙切れを差し出した。サミットはあと1時間で始まるというのに、これまで裏方で活躍していたが突然消えるとなるとまずいのではないだろうか。様子を見守っていると、ポップがの書置きを読み始めた。
「…“突然ですが旅に出ます。探さないでください。ベンガーナの仕事については既に陛下に相談の上、了承を頂いているので問題ありません。会議資料もまとめて会議室横の物置にありますのでお使いください。みんなごめんね、急にいなくなってしまうけど心配しないでね。それではお元気で。 ”……ってなんだよこれっ!?肝心な事何も書いてねえし!」
手紙の内容を確認したポップが手紙を取り落として天を仰ぎ、ダイがポップから手紙を受け取るとマァムと顔を見合わせておろおろしている。マァムもどうしよう、と言ったっきり黙りこくってしまった。姉のように慕っていた人物の突然の失踪に皆、困惑を隠しきれないのだ。
「マリン、部屋はどう?」
「ダメです……荷物も全部片付けられていました」
部屋に入ってきたマリンにレオナが声をかけるも、彼女は残念そうに首を振った。
「おそらく事前に準備していたと思われます。キレイサッパリ、痕跡が消えていました」
そこまでするとなれば尋常ではない事情があるのではなかろうか。さっぱりワケがわからずに戸惑っていると、マァムがさっきから一言も話さないヒュンケルに尋ねた。おかしな事にを愛しているはずのこの男は彼女の失踪に大きく反応しなかった。これは何かある。
「ねえヒュンケル、貴方は何か聞いてない?」
「……近いうちに踊り子として本格的に活動すると話していた」
「近いうちって…急過ぎるよ、いくらなんでも…!」
「聞いたのはそれだけ?他には何も聞いてないかしら、例えば、どこに行くとか、誰かと会うとか!」
ダイとマァムに詰め寄られても、ヒュンケルは申し訳なさそうに首を振って答えた。
「……すまん。オレも、何も聞かされていない……」
ヒュンケルはそれだけ答えて、一人で部屋を出て行ってしまった。
昨夜催された宴で、とヒュンケルは途中からいなくなった。それに気付いた時はついに成就したのかと自分まで幸せになったように感じていたのだ。それがよもやこのような事態になろうとは。
「……ありゃあ絶対なんかあるぜ」
「ウム…」
ヒュンケルを見送ってポップが呟く。表情を顔に出さない若い戦士の後姿は、絶望に打ちひしがれているように見えた。
*
(ヒュンケル視点)
の突然の離別に狼狽している仲間から離れて、一人でパプニカの場内を歩く。石造りの城の廊下は陰ってひやりとしている。
これで良かったのだ。
は髪飾り一つだけを残して去った。突然すぎる別れに戸惑いはあったが、彼女なりに何か考えがあるのだろう。手紙によればベンガーナ王にも話を通してあったというし、彼女本人も本格的に踊りの仕事をしたいと話していたのだから、傍に誰がいようとも進む道を変えるつもりなどには無かったのだ。
一人になった塔の上、ぽつんと残された髪飾りがまるで自分のようで、拾い上げて一晩中見つめていた。
愛している。この想いが変わることはない。だからこそ傍にいてはいけないのだと結論付けたのに、いなくなると寂しさを感じている自分の女々しさに呆れる。
彼女はオレのような男が愛してはいけない人だったのだ。いずれ別れの時が来る事もわかっていた。愛していると言ってくれた瞬間、天にも昇りそうな気持ちになった。同じ想いでいてくれたことが嬉しかった。束の間でも彼女の愛を得られただけで、甘い夢を見ることが出来た。
は芯の強い女性だ。自分から幸せを掴む力もある。すぐにオレの事など忘れて、自分を幸せにしてくれる男を見つけるだろう。どこで生きていても構わない、どこかで誰かと幸せになればいい。こんな男になど構わずに自分の幸せを優先してほしい。犯した罪で後ろ指を差されるような男など、見切りをつけられて当然だ。
届くか届かないかという距離にいた彼女を引き止めようと思えば出来た。飛びついて抱き締めれば、彼女はルーラで着地できたのだ。それをしなかったのは彼女の未来の妨げになりたくない、ただそれだけだ。オレが酷い男になればなるほど、は次に進める。あんな男を愛したのが間違いだったと思ってくれたらいい。見目も性格も素晴らしい女性だ、自分に好意を抱く男の顔などきっと一々覚えていやしない。群がってきた下らない男の一人として数えてもらえるだけでもマシだろう。
廊下の窓から中庭が見えた。城の中庭は、彼女がいつも休憩していた場所だ。ちょうど良く陽が差し込む木陰があり、はそこを気に入ってよく布を敷いて座っていた。傍に行くといつも笑顔でオレを呼び、声をかけてくれた。しかし、もう二度とその場所に彼女が座ることはない。
誰にも行き先を告げることなく、幻のようには去った。
『さよなら』
これで、良かったのだ。
*
(夢主視点)
眠れなかった。
質素なベッドから身を起こして、乱れた髪を手櫛で整えて鏡に向かう。ヒュンケルと別れた後、ロンさんのお遣いで以前泊まった事のあるロモス北西の街にルーラで飛んで、ドレスのまま宿に部屋を取った。お化粧だけ落として寝巻き代わりのシャツに着替えてベッドに入って。足についたままのアミュレットを思い出して、声を殺して少しだけ泣いた。振られたらその場で出て行くと決めていた理由は一つしかない。泣いている姿なんて誰にも見られたくなかったのだ。こんなの惨め過ぎて見られたもんじゃない。
私のこと、好き?
この問いかけに、ヒュンケルは何も言わなかった。熱っぽい瞳が葛藤しているのに気付かなかったわけじゃない。寂しそうな眼だけが、武器を振るっていた手の代わりに私を捉えようとして揺れていた。
大魔宮で、力の抜けた体を抱き締めて、初めて傍に居て欲しいと思った。
まだ同じ気持ちだったなら一緒に歩いて欲しかった。
返事を貰えなかった理由なんかどうでもいい。
答えない、それが答えであって残酷で明白な事実でしかないのだから。
彼が前に進まないのなら、私だってそれ以上は望めない。
ダンサーとしての修行は前から決めていたことだ。決別を急ぎすぎたとも思っていない。
アミュレットを受け取った時に触れた手は優しくて温かかった。
最後のキスはこっちの衝動だ。唇を奪うつもりはなかった。
いつもこうだ。良いなって思った人には逃げられる。
自分で言うのもなんだけど、私は人に好かれるような所作や振る舞いを研究して積み重ねて、どこでも一定の人気がある人間になれるようにしてきた。延長として好意を持ってくれる人もいたし、それでいいと思っていた。嫌われるより愛されるほうが楽に決まってる。不特定多数であろうと向けられるのは好意の方が生き易いから。
でも私の根本は、結局ダンサーとして最高に美しい自分でありたい、それだけだ。
だから所々で自分勝手に行動して好きなように走ってしまって、ブレーキの利かないところにびっくりされて逃げられる。こんな女の子だと思わなかったと言われる。或いは、自分には相応しくないと言われて辞退されるのだ。
強く引き止めて欲しかった。
それをされなかったって事は、私自身に彼の迷いを晴らすだけの魅力がなかったから。
彼が自分で愛したいと思える女じゃなかっただけ。
永遠の愛なんてないことくらい知っていたはずだ。
わかりきっている事なのに、信じたいなんて思った自分が悪い。
――滑稽だ。
愛の言葉をくれるものだと思い込んで、バカみたい。
「……なさけな。」
サイドテーブルのルームキーを掴んでベッドから起きあがる。
今日はだめだ。水を貰って、軽い食事をして、もう一度眠ろう。
これ以上何も考えなくていいように。
*
(ポップ視点)
さんが出て行ったのはパーティーの夜から今朝にかけてだ。あの後すぐにロン・ベルクの家にいったんじゃないかと思ってルーラで訪ねてみたけど、さんの姿は無く、ロン・ベルクも何も聞いていないと話した。しかし10日ほど前に私物を整理しに来たと言うので、やっぱりあのお姉様は計画的にいなくなったのだ。
戦いの後からヒュンケルのヤツとは99%恋人ってレベルで一層仲が良かったから、姫さんとオレなんか二人が完全にくっつくまでカウントダウンをしていたほどだ。すぐにくっつくだろうと思ってたし、周囲もそれを見守っていた。まさかここでさんがヒュンケルを置いて何処かに消えるなんて考えもしなかった。原因は間違いなく、あのすかしたツラにあると見ていい。
サミットが始まるまでまだ少し時間がある。何が何でも聞き出してやる。城の中を少し探すとヒュンケルはパプニカ城の中庭で木陰に座ってぼんやりしていた。あの木の下はさんがパプニカに来てからよく休憩に座っていた場所だ。近づくと、ヒュンケルが表情をいつもの鉄面皮に戻してこちらを見た。
「おめー、さんとなんかあったろ」
「……何もない」
「嘘だね。あの人が皆に行き先も知らせずに急に消えるなんて不自然だ」
さんはオレ達に何も話してなかったのに仕事だけはキレイに引き継いで完璧に準備しいた。追いかけてくるなって意思表示だと考えて間違いない。が、オレ達にだけ一言の挨拶もなく消えたのが引っかかる。どう考えてもあの夜にヒュンケルと何かあったんだ。おそらくこいつの行動次第で後の行動を決めようとしたに違いない。
「いいからちょっとこっち来いって」
「何も聞いていないと言ったはずだ」
「知りたいのはそこじゃねえの」
渋るヒュンケルの腕を引いて城の裏庭に向かっていると、都合よくクロコダインのオッサンとラーハルトが通りかかった。よし巻き込もうハイ決定。
「オッサン、ラーハルト!ちょーど良かった、二人も来てくれ」
「なんだ?」
「今からこいつにさんの事問いただすから手伝って欲しいんだよ」
オレの言葉を聞いてラーハルトが訝しげに首を傾げた。
そういやこいつはさっき部屋にいなかったからまだ聞いてないんだっけ。
「あの女がどうした」
「旅に出るっつっていきなり消えちまったんだよ」
「は?いつだ」
「今朝。起きたらいなくなってた」
「な……!?」
ラーハルトがどういう事だと言いたげにヒュンケルを見て、ヒュンケルが気まずそうに目を逸らした。そら見ろ、やっぱり後ろめたいことがあるんじゃねえかこいつ。
人気のない裏庭の石段に腰掛けて、ヒュンケルを取り囲んで話を聞きだそうとしたもののなかなか口を割らない。
焦れたラーハルトが言わんとこのまま拘束状態だぞと脅して、ようやくヒュンケルはパーティーの夜の出来事を掻い摘んで話した。
曰く、二人っきりになった時にさんから告白されたとのこと。
ますます意味がわからねえ、普通喜ぶトコだろ。
「マジかよ…!?じゃ何で出てったんだ」
「…………」
「とっとと吐け」
黙ったままのヒュンケルをラーハルトがドスの聞いた声で促した。戦友の情けない姿に苛立っているみたいだ。射殺さんばかりの眼で睨みつけられて、ヒュンケルは渋々答えた。
「……オレは誰かを幸せに出来る男ではない。はオレでなくても幸せになれる」
ヒュンケルの回答を耳にして、ラーハルトが一層眼光を鋭くし、クロコダインのオッサンはなんて言えばいいのかわからないような困った表情になった。オレもうっかりメラゾーマをぶっ放しそうになった。だってどう考えても、あのさんがこいつの言い分を全て受け入れるわけがない。
「それ、さんにちゃんと言ったのかよ」
「……」
「……んなこったろうと思ったぜ」
つまり、このすかしたツラの兄弟子は、自分の過去の負い目からさんの言い分も聞かずに一方的に自分の気持ちを抑えた。さんの気持ちは無視して、自己完結して終わらせちまったわけだ。マァムにちゃんと聞いてって怒られたオレより酷いかもしれない。
「……オレが隣に居てはの未来を壊しかねん。彼女の夢を、罪に塗れたこの手で壊したくはない…」
「けど全部込みでオメーのこと好きだって言ったんだろさんだって」
「口で言うほど簡単ではない。オレを恨んでいる人間がどれだけいると思っている」
「それはそうかもしれんが…」
オッサンはこれ以上の言葉を言わずにオレと目を合わせた。だからって無理矢理終わらせなくってもいいだろう、と言いたいんだろう。とはいえ、さんはもういなくなっちまったし、今更何を言ってもヒュンケルは変なトコで頑固で偏屈だからこれ以上はどうしようともしねえだろうし、どうすんだよコレ。
「くだらん。その調子では、あの女も一人の方が楽でいいだろう」
ヒュンケルの様子をじっと見ていたラーハルトは、心底呆れたと言わんばかりの口ぶりで厳しい言葉を残してその場を去った。ヒュンケルも、これ以上話すことは無いと言い残して裏庭を後にした。不器用すぎる兄弟子の恋の結末にやりきれない気分だ。
「ままならんもんだなあ……」
残念そうに呟いたおっさんの声が、人気の無い裏庭に空しく消えた。
*
(夢主視点)
ロモス北西の宿を出てから1週間。凱旋の途中で集めた踊り子募集先に順番に当たってみたものの、どこも既に空きがなくなっていて、ついさっきまたしても採用を断られた。1週間で連続3つ不採用は結構キツイ。
「また落ちたし……」
「別嬪さんで見た目は申し分ないけど、もう別の若い子採っちゃったんだよね。増員の予定は無いから、悪いけど他をあたってもらえるかい?」旅の一座の面接もどきはこれでおしまいだった。
ロモスの東にある小さな町の外れで、土手のような草の生えた場所にマント代わりにしている布を敷いて横になる。精神的に疲れてしまったので、日向ぼっこでもして気分転換したくなったのだ。かつて生きた世界には無い可愛らしい花が所々に咲いていて心が和む。魔翔脚を履いた足を掲げると、太陽の光が銀のブーツに反射して眩しい。
「……上手く行かないね。ベイビー」
足を上げたままで語りかけるとオレンジの魔法石が薄く光った。
多分、惨めなとこ見せんじゃないわよ、って言ってるんだな。
「大丈夫、折れないよ。私達はパワフルだもん」
物言わぬ相棒は私だけにしか履けない、私だけの武器であり、靴だ。何があろうともこれにだけは見放されたくない。ある意味では魔翔脚は私にとって厳しい友人のようなものだ。この靴を置いていく気にならなかったのは、プライドの高い“彼女”なら私が危ない所にまで落ちるのを防いでくれると考えたからだ。言葉を話すことは無くても、私はこの武具を愛しているし信頼している。
お昼ご飯でも食べようと身を起こした時、視界の端に銀髪の男性の後姿が飛び込んできた。
背格好が良く似ている。
もしかして、と気付けば駆け出して声をかけていた。
「あの…!」
「はい?」
振り向いた男の顔は見たことも無かった。
「えと……ごめんなさい、人違いでした……」
気まずくなって軽く頭を下げ、土手に戻って布を畳む。少し草の汁がついてしまった部分を意味もなく指で擦って、街に向かって歩き出す。胸にぽっかりと穴が開いたようだ。
バカだな私。彼がこんな所にいるわけがない。自分で置いてきたんじゃないか、行き先も告げずに。
ヒュンケルへの想いは全部忘れるって決めた。夢を叶えるために一人のダンサーとして全力で走るって。
追いかけてきてくれるかもしれないなんて甘っちょろい期待をして、どうかしてる。あの日彼は答えを出したんだ。私を追いかけない、愛さないって。だから自分は一人で飛び出して、ダンサーの仕事を探して回って、断られて凹んでるんじゃないか。現実を見るんだ。彼には二度と会えない。また魔王軍みたいなのが地上をどうこうしようとしたとか、そういう緊急事態でも起きない限り彼と会う機会なんか無い。
例えいつの日か逢えたとしても、彼の隣がいつまでも空席だって保証もない。きっと、そう、エイミちゃんが座ってるだろう。空いていたとしても過去の女でしかない私ではそこに座れない、終わった恋を追いかけるべきじゃない。今はただ、前を向いて進むしかないんだ。
突然吹きぬけた風で木の葉が舞った。髪が煽られて乱れてしまう。
ふと髪に絡まった葉を手にして、鮮やかに蘇ったベンガーナの街の思い出を頭を振ってシャットアウトした。
もういい、終わった。
顔も声も何もかも、全部忘れてしまえばいい。
苦しくなるだけの思い出なんか消えてしまえ。
記憶を消す魔法があるなら、今すぐにでも覚えてやるのに。
涙の滲みかけた目を擦り、吐き出した溜息が風に乗って散った。
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