(ヒュンケル視点)


報奨金と携帯食料、ナイフ、鉄の剣、水筒、マント、荷物といえばこの程度だろうか。私物と呼べるものはほとんど無いが、身軽でいい。あまり多くのものを持っていても邪魔になるだけだ。
朝靄の立ち込める城門に、見知った女性の姿を見つけた。

「……本当に行くのね」

エイミだ。
オレのような男を愛していると言ってくれたもう一人の女性。しかし彼女は、オレの心が以外に向かないと知り、納得して身を引いてくれた。

「そうだ」

彼女に話せることは何もない。擦れ違った時、エイミが尋ねた。

「一つだけ聞かせて」
「…?」
「彼女のことを、まだ愛してるの」

自分の表情が強張ったのがわかる。
背を向けたままで答えたのは女性にあまり情けない顔を見られたくないからだ。

「…………オレの答えがわかっているような聞き方だな」
「いいから答えて」

追及するエイミの声は硬く厳しい。初めから逃がすつもりはないのだろう。嘘を吐くことは容易だが、そうするつもりはない。彼女にまで心を偽るのは、オレという男に向き合ってくれた人間に対して失礼だ。

「――愛している。誰よりも」
「でも傍にいないのね」
「そうだ」
「どうして?」
「質問は一つだろう」
「……ッ」

エイミの腕が後ろから腰に回った。抱き疲れるのはこれで2度目になる。

「彼女をあきらめたなら、振り向いて私を見て…!私は貴方を置いて消えたりなんかしないわ!!」

縋りついた女性の手をそっと外して足を踏み出す。
例えエイミ自身がそれを望んでいようとも、愛した人の手さえ取れなかった男が都合よく甘えられるはずはない。
それにこの心はまだ、だけを愛し続けているのだ。

「……これ以上は君の苦しみが増すだけだ。忘れてほしい」

エイミは再び離れた男を掴もうとはしなかった。
それでいい。
愛せもしない人を愛したまま、たった一人さえ幸せにしてやれないような男に、未来を預けてはいけない。

「…………ッ、もう、いいわよ……」

涙声と吐き捨てるような言葉が背後から聞こえる。
前に進む足を止める事はない。

「行きなさいよ……貴方なんて……もう大ッ嫌い!!」

朝靄の中に悲しい叫びが静かに溶けていく。
空は曇り、晴れそうにない。



(マリン視点)


「……なーんか不完全燃焼ってカンジ。」
「本当に何があったんでしょうね……」
「全く……あ、マリン、この書類終わったわよ」
「!はい、お預かりいたします」

がいなくなってから、あっという間に3ヶ月が経過した。
誰が何度聞き出そうとしても、ヒュンケルは「自分は彼女に相応しくない」の一点張りで話にならない。ダイくんが「さんのご飯、また食べたかったのになぁ」と弟モード全開でヒュンケルの傍でそれとなく呟いてみるも効果が無く、ポップはもちろんマァムですらもお手上げだった。

クロコダインはヒュンケルを慮って強く聞きだすことはせず、ヒムまでが探しに行けと諭したもののヒュンケルも考えを変える気は無いと言い切って、つい先日旅に出てしまった。を探しに行くのかと思いきやそのつもりはないというから、姫様の不完全燃焼という言葉がぴったりだ。

パプニカは未だにドタバタしている。国政の建て直しももちろんだけど、壊滅状態だった町を一気に建て直した時に魔王軍の巨人の襲撃があったものだから金庫のお金が文字通りすっ飛んだ。おかげで姫様(おっともう女王陛下だった)が憂さ晴らしにダイくんを連れてエスケープした回数は既に片手で数えられる回数を越えた。私が1回、エイミが1回、アポロは3回も彼女の捕獲に走り回った。

いなくなったの後を追うようにヒュンケルも旅に出てしまい、二人の恋の行く末は未着のままだ。マァムとメルルは故郷に戻った。クロコダインとヒム、チウはデルムリン島に移り住んだ。パプニカにはポップ君とラーハルトだけがダイくんの側に残っている。がいなくなってから皆が散り散りになるのはあっという間だった。

私の考えでは、はヒュンケルに告白したと思う。

だって彼女、好きになった人には一途って感じだったし。実際、決戦で何があったのか知らないけれど、戦いの後からのヒュンケルに対する態度は傍目から見てわかるくらい甘かった。ヒュンケルと楽しそうに話す姿を見かける度に、この子恋するとこんな感じなのね、と思ったものだ。それと同時に、流石やるわね〜、とも。

服装は露出控えめで可愛らしくなるし、さりげなさを装って自然に彼の隣をキープするし、男が好きそうな香りの香油に変えてるし。男ウケの良さそうな化粧に変わってたし。極めつけはヒュンケルの服の外れかかったボタンに触って、見えないように指先だけで引きちぎって「ごめーんボタン取れちゃった。すぐに直すから脱いでくれる?」と言ってヒュンケルから服を脱がせてポケットから裁縫道具を取り出したのを目撃した時だ。物陰から恐ろしいテクを持ってるもんだわと恐れ慄いた。あれは家庭的であることをアピールする術に違いない。女馴れしてない男ならコロッと行く、絶対。

ただでさえ男性に好かれる彼女が自ら落としにかかっているんだから、あれをやられたら大概の男は3日で落ちるだろう。実際ヒュンケルも相当やられていた様子だった。自分の長所を知っているモテ女が本気になるとすごいものだ。他にも、どう考えても手間がかかると思われる料理をぱぱっと作ってヒュンケルが居る前で皆に出したり、服装が毎日必ずスカートだったり、彼の前で、構わず声をかけてくる他の男にハッキリ「好きな人いるんで」と言ってみたりと、まあよくここまで男を自分に誘導する技術を磨き上げたもんだなと感心した。ぶりっ子に見せないのがまたすごい。

パーティーの夜は告白するには最適だ。彼女はきっとあの夜にヒュンケルに気持ちを告げたと思われる。それなのにいなくなるって事は、もしかして振られたのだろうか。だとしたら急にいなくなった理由は、案外泣き顔を見られたくなかっただけじゃないのかしら。彼女、意外に余裕あるように見えてプライド高いのよね。

何も話してくれなかったことはとても残念に思うけど、したたかなの事だ。いつか必ず何事もなかったかのようにパプニカを尋ねてくるだろう。

ダイくんの部屋の前を通りかかると、ポップ君が勉強を嫌がるダイくんの面倒を見ていた。彼は読み書きの苦手な小さな勇者の教育係としてパプニカに残っている。

「ったく、またここ忘れてるぜ。あ、ここも、おめー何回言わすんだよっ!」
「だってめんどくさいんだもん」
「めんどくさいじゃいつまで経っても覚えねえだろ!ったく、もう一回!」
「ええ〜?休憩しようよポップ〜!」
「バカッ!ちゃんとやれちゃんとっ!」

文句たらたらのダイくんを小突いてポップ君が勉強をさせている様子は見ていてとても微笑ましい。ふと生じた違和感に、今朝からラーハルトの姿を見ていないことに気づいた。いつも必ず傍に控えている魔族の青年の姿がない。ま、どこに行こうと国政には一切関わる人物ではないから構わないか。ダイくん第一主義らしいから、すぐに戻ってくるだろうし。



(夢主視点)


パプニカを飛び出してから3ヶ月が経った。いくつもの旅の一座を回って踊り子の募集が無いか聞いてみたけれど、どこも既に新しい踊り子を採用していて空きが無かった。もちろんそれで諦めきれるはずも無く、色々と情報収集をした末、私が現在身を置いているのはロモスの西の街にある舞踊学院である。

ここの踊り子育成コースの中で、最もハードといわれるコースの受付に滑り込みで入ることができたのだ。育成期間は1年。卒業者には富豪や王侯貴族お抱えの踊り子になる道が約束されている。入学金はバーン討伐で貰った報奨金の大半をつぎ込んだ。別に富豪や官僚に興味があるわけじゃない。ただこの舞踊学院を無事に卒業すると、それだけでハクが付いて仕事がしやすいというし、客の信用度も上がる。この世界の踊りも一から身体に叩き込めるなら悪くない話だと考えたのだ。

受付がギリギリ過ぎて寮は空きが無かったので、仕方なくかつてクロコダインの襲撃で住民が出て行って空き家になった家を借りている。レンガと漆喰で出来た一部屋しかない家で、ぼろいから格安の月50Gだ。学院がある山の麓の立地で一面採光、ヒビの入った小さめのガラス窓つき。雨漏りはする隙間風も虫も入る、良いところは学院の傍だってことだけ。

それでも住むには申し分ない。なにしろ家の裏手には実をつけているオレンジの木があり、数メートル歩けば小川も流れているから生活用水には困らないし、前の住人が置いていった小さなベッドとキャビネット、それに丸テーブルに椅子といった家具もある。料理ができる暖炉もあるから、片手鍋とナイフ一本、お皿一枚にカップが2つもあれば生活は可能だ。後はロンさんの家からこっそり持ち出した私物でどうにかなる。

2ヶ月の旅の間にも採取した鉱石を売って沢山貯金していたから、当面生活費に困ることもない。ちなみに今の私の所持金は175854G。パン1個が1G〜3Gだから、休みの度に鉱石を採って売ればどうにかなる。入ってくる隙間風は穴の空いた箇所を補修すればいい。住めば都ってやつだ。

貧乏暮らしはニューヨークで慣れている。思えば初めて18の時にニューヨークに行った時だって暖房の壊れたボロアパートから生活を始めたんだ。むしろメラで自分で火を熾せる上にヒャドで氷を作って水を確保したり食料の保存ができる今の方が、光熱費と水道代がかからない分、安上がりだろう。

朝起きて日課のダンス練習をして、ご飯食べて、学院でも踊り疲れてくたくたになって帰って、ご飯食べて身体を綺麗にして寝て。一人で暮らし始めてから1ヶ月、徐々に生活サイクルに慣れ始めた頃だった。

週に一度の休日、食料の買出しと鉱石売却を終わらせて愛すべきボロ家に帰ると、家の前に人影があった。フードを被ったその人物は、私の気配に気づくとゆっくりと振り向きフードを取った。

「なんで……」

見知った青い肌の男が、無言でこちらを見つめていた。



(ヒュンケル視点)


旅に出ようと考えたのは勢いでも気まぐれでもなく、自分なりの理由がある。
一度、一人で自分自身の罪と今の気持ちに向き合いたいと思ったからだ。

己の手で滅ぼしたパプニカのために尽くしたい気持ちはあったが、ダイが次期国王となる予定でパプニカに迎え入れられている以上、一国に力が集中するのは望ましくない。国と国の間で余計な摩擦を生むだろう。かつてのアバン達も同じ理由で野に下った。は去り、仲間達も故郷に戻る予定になっている。パプニカは国政を整えるのに忙しく、姫によるとオレの最終的な処遇も宙ぶらりんの状態で審議中から進んでいないという。ならばいつまでもタダ飯を食らうより、自分に何ができるのか考える良い機会だと思ったのだ。

最初に向かったのは故郷ともいえる地底魔城跡地だった。
フレイザードの手によって死火山が噴火したため、今ではマグマに覆われて黒く埋め尽くされてしまった居城。
ここで彼女に出会った。

忍び込んできた後姿の頼りなさと飄々とした話し方にイラついて、当身を食らわせ気絶させたのだったか。あの頃は自分の中の暴力的な感情を抑えられなかった。初対面の第一印象は最悪だっただろう。

ここで父に育てられ、死に別れた。そしてアバンと出会い、再びここに戻って仲間と出会った。オレにとっての全てがこの場所から始まっている。

いつだったか昔話をした時、オレが捨て子だったと話したのを聞いてが言った。オレの母も父も、きっとオレを捨てたのではない、父バルトスに託したのだと。生きていて良いのだと言われた。望まれてこの世に生れ落ちたのだと、顔も知らない両親までひっくるめて肯定されたのは初めてだった。

の言うとおり、捨てられたわけではないのかもしれない。もし本当に彼女の言うとおりだったとしたら、今この場所に立っていることも、オレを存在たらしめた両親とバルトスが呼んだ奇跡なのだろうか。
そうであって欲しいと願う自分がいる。

「……とうさん」

森から花を摘み、黒く埋まった地盤に撒いた。白い花弁が黒い地面に映えて一層白く見える。ガイコツ剣士だった父の骨はこれほど白くは無かったけれど、父の姿が浮かび上がるようだ。
生きていてもいいと言われた。この手を引いてくれた人が大勢いた。今も見守ってくれている人がいる。きっと彼女の言うように、奇跡なのだろう。

戦いは終わった。全力で剣を振るう必要は当分ないだろう。
これからのオレに何かが出来るなら、それを探すべきだ。
それが手を放してしまった彼女に対する、せめてもの償いになるならば。



(夢主視点)


「どうやって調べたの?誰にも行き先教えてなかったのに」
「以前お前の変わった舞を見た時、こいつはがむしゃらにやるのではなく確実に技術を磨くタイプだと思ったんでな。ロモスの西に踊り子を育てる有名な場所があると知り、もしや一からやり直すつもりではないかと考えた」

それで最近ロモスの学院近くに越してきた若い女がいないか町で聞き込みしたら、ズバリ私に行き当たったとの事。なかなかの探査能力してるなこの人。普通はプロのダンサーが今更踊り子育成の学校に行くとは思わないはずだけど、しょっちゅう愚痴ってたからか私の性格をよく理解してらっしゃる。

木のカップにコーヒーを淹れながら彼の追跡能力に感心していると、ラーハルトが椅子から立ち上がって部屋の中を見始めた。なるべく清潔さを保っているものの、じっくり見られるとボロいからちょっと恥ずかしい。

「……あんまりな有様でびっくりした?」
「フン。屋根があるとは贅沢すぎる」
「ひっど。学院の入学金でお金飛んでったんだよ」
「ならとっとと学院とやらに行け」
「今日は休みですー」
「シケた休日だな」
「時間を贅沢に使ってんの」
「ほざけ」

厳しい言葉の端々から心配してくれているのが感じ取れる。素直に優しくしてくれないのはツンデレさんだからしょうがないのだ。何より暫く知り合いと話す機会が一切無かったからちょっと嬉しい。まさかこの男が尋ねてくるとは予想外だったけれど。

「で、何の用?挨拶だけってわけじゃないでしょ」

ベッドに腰掛けてコーヒーを啜りながら尋ねると、窓から外を見ていたラーハルトが振り返って口を開いた。

「一人で住んでいるのか?」
「ん。そうだよ」
「……いつまで意地を張っている」
「やっぱその話か……」

そんな事だろうと思った。凱旋の間はヒュンケルとちょくちょくつるんでいたから、ダメな友人を見兼ねて私を連れ戻しに来たんだろう。無愛想で傲慢に思われがちだけど、このラーハルトという人物は実際に話をすれば必ずしもそうではなくて、単純に口下手なだけだ。それに性根は優しいので他人を気遣うことだってある。けれど今回ばかりは申し訳ないけれどその気遣いを受けることはできない。

「んー。確かに、色々聞いてもらってたのに説明ナシは良くないよね」

とはいえ心配してきてくれたのか、それともダイに言われて探しにきたのか。ラーハルトが来た動機はなんにしろ、言いくるめて追い返そう。今は本当に思い出したくない。

「あれだよ。早い話がさ、振られちゃったの」

何でもない顔をしてやり過ごすなんて可愛気がないってわかっていても、そうせずにはいられない。

「いやほんと笑っちゃうよね!頑張ったつもりなんだけどなー。脈あったはずなんだけど、玉砕だったわ」

コーヒーを飲みながら世間話でもするようにあっさり、他人事みたいに話す。なけなしのプライドを保てなければ、笑顔の仮面は壊れるから。

「まあほら、私って一人で何でも出来ちゃいそうだし?よく見たら守ってあげなくてもいいタイプだって考え直したんじゃないかなーって。あいつ意外にその辺プライド高いから、手に負えない女は御免だって思ったんじゃない?」

私みたいな性格の女にはこういう事よくあるんだよね、なんて。
笑い飛ばして開き直って、それでいいのだ。

「ま、そーゆーわけでさ、終わった話。ごめんね心配かけちゃって」
「……なるほど」

ラーハルトは真っ直ぐに私の目を見て告げた。

「その調子で何でも隠し通せると思っているなら考えを改めるんだな」
「んー?ホントに平気だよ?」
「強がりを」
「いやいやーホントだって」

見抜かれていることにショックは受けない。けれど傷心している女性に対してちょっと酷い人だなとも思う。
こういう性格だって知っているからダメージは少ないけど、こっちは未だに、夢に見るくらいきついのに。

「余程行き遅れたいらしいな」
「んー自由恋愛主義でね」
「あれだけ執心だったくせにか。誤魔化せると思うな」

ああ、イライラする。

「――あのさあ。」

いい加減、聞かないで欲しいってわかってよ。

手の中でカップの中のコーヒーがゆっくりと冷めていく。

「私にどうして欲しいの?」

苛立ちながらぶつけた質問に、ラーハルトの眉がピクリと動いた。

「彼に追い縋って、私の何がいけないのって泣けばいい?押し倒して迫れって?」
「……そこまでしろとは言っとらん」
「ラーハルト。あんたには見くびられたくないからハッキリ言うけど、私は男に縋るタイプじゃない」

縋って泣いて、何になる。私を置いていった母も、男に縋って泣いて何度も捨てられた。子供ながらにそんな惨めな姿の母を見ては空しい気持ちになったものだ。けれど男なんてのはそういうもんじゃないか。追いかけられたら逃げる。どんなに愛を囁こうとも、男ってのは女に追われれば逃げる生き物だということを、私は嫌というほど知っている。

「心配してきてくれた事には感謝してる。でもあいつと私の事は終わった。本当にもういいんだよ」
「ならばせめて親元に戻れ。女が一人でフラフラするな」
「無いよ親元なんか」

心配してくれているだけ、そんなの解ってる。当り散らす相手が違うってのも解ってる。解っているのに口が話すのを止めてくれない。

「…なに?」
「親元はもちろん故郷すら無い。帰る場所なんか無いんだから」

こんな事まで言いたくないのに。私が怒りをぶつけたい人はこの人ではないのに、言葉が止まらない。ベッドから立ち上がって中身の冷めきったカップをテーブルに置いて吐き捨てるように口走る。やけくそだ。

「いいやもう。教えてあげる。私はね、皆の知らない世界からここに来たの。信じられないけど本当。ロンさんに聞けばいい、出会ってすぐの私が何言ってるか、あの人さっぱりわかってなかった。話が通じなくって大変だった」
「なにを…」
「頭おかしいと思うでしょ?ッハ、だから言わなかったんだよ。私があんたでもそう思う、馬鹿げてる」

本当に馬鹿げた話だ。それを彼に言ったところでどうにもならない事くらいわかってるのに、話してしまう自分もバカだ。ラーハルトは戸惑った様子でじっと私の顔を見つめている。そう、そんな風に気が狂ったのかと思われたくなかったから話したくなかった。

「死の大地で爆発に巻き込まれて死にかけた時にわかった。私、元居た世界で死んでんだわ。高い所から落ちて頭が割れて即死した、一瞬で死んだの。戻る場所は無い、二度と故郷で踊れない、私の生きた世界では私の夢は叶えられない!」

拳でガン、とテーブルを叩くと、カップが倒れて冷めたコーヒーが木のテーブルに零れた。
ラーハルトは無言で話を聞いている。何を思っているんだろう。ついに頭がおかしくなったかと思われただろうか。なんでもいい、こんな話を聞けば誰だってそうなるだろうし。

「――だからここで夢を叶える。誰にも理解されなくていい、私は私の世界を自分で作り上げて、自分の存在を証明してみせる」

自己を確立する方法は夢しかない。
あの夜“白銀の踊り子”は恋の炎に巻かれて死んだ。
誰かに甘える事もしないと決めた。

「わかったら放っておいて」

吐き捨てるように言い切って、零れたコーヒーを拭こうと台拭きを取ろうとした私の空いた手を、ラーハルトの硬い掌が掴んだ。

「!」
「……来い」
「嫌」
「………意地を張るな。来い」

喉の奥に込み上げるものができたのは、半魔の友人の声音が諭すように存外に優しく、気狂いだと哂うことも否定されることもなかったからだろうか。

「っ……やだ…嫌だってば……!」

目の奥が熱くなって、泣くなと言い聞かせても涙が勝手に零れてしまう。零したコーヒーを片付けることもせず、涙を拭うことしかできなくなった私を目にして、ラーハルトが手を放してばつが悪そうに溜息をついた。

「ちっ…なんで泣く」
「そっちが悪いんでしょ!?何がしたいの、失恋の傷口に塩塗って!!」
「……お前はヤツと幸せになるものだと思っていた。何故逃げた」
「逃げてなんかない!私はちゃんと向き合った、乗り越えようって言った!でもっ…」


彼は最後まで何の言葉もくれなかった。
私の言葉は届くことなく、心が遠ざかったのを感じた。
彼の手は、去ろうとした私を本気で掴もうともしなかった。
塔から飛び降りてでも抱き締めてほしかった。
ルーラが使える私なら二人で落下なんてことにはならないってわかってたはずなのに。


でも彼はそうしなかった、他にどんな答えがあるって言うの。


「ダメだった…!!だから吹っ切って、全部忘れて、夢だけ見て進むって……決めて…!」
「だから泣くなと言っている」
「じゃあ泣かせるような事しないで!」

涙を拭いながらケンカ腰で喚いたら、涙で濡れた手を絡め取られて唇が重なった。

「……!」

自分でも愛した男でもない人の体温が伝わってくる。
生きている人の温度は、こんなにも熱いものだっただろうか。

「――忘れさせてやる」

思考を止めた脳を、焦げ付きそうな熱の混じった低い声が支配する。
涙が二つ、零れて落ちた。