(ラーハルト視点)

パプニカに戻り、城の塔の上で遥かに続く地平線の向こうを見つめる。
この国の西を真っ直ぐに行けばロモスがある。つい数日前に捜した女を見つけた国だ。

また、泣かせた。三度目は御免だと思っていたのに、結局はヒュンケルを想って泣いた。何ともないように振舞っていても、孤高に生きる道を選んだのが彼女自身の意思だとしても、あれはやはり弱く脆い女なのだ。傷ついた心を誰にも見せることなく姿を消したのは女なりの意地だったのかもしれない。

が初めて打ち明けてくれた過去は、これまでの彼女の印象を数分で覆した。母に捨てられた少女。ありきたりな不幸話だが、彼女は不幸を嘆くだけでは終わらなかった。一時は自分を捨てた母に似ていく顔を憎み、しかし恵まれたそれらを武器として受け入れ、揺ぎ無い精神で己を磨き続けたのだ。
負の感情を滅多に表に出さない彼女の、灼熱の執念を垣間見た。

自分が最も惹かれていたのはこれだったのだ。自身の存在を誰にも譲らないという強い想いが、不確かな形で彼女の空気に混じっていた。ぼやけていたものの正体を知り、惹かれた理由が理解できて納得した。

人も魔族も区別無く接するあの女の根本は、綺麗事や正義などの理想ではない。自分を捨てた母譲りの外見を嫌いながらも、受け入れなければより良く生きられない現実。それはかつて自分が抱いたものと同じ葛藤だ。上滑りする“仲間”という言葉より遥かに説得力がある。

まるで鏡像のようだ。ヒュンケルとはまた違う形の。
は己を捨てた母から譲り受けた美しい外見を磨いて武器に変えた。自己確立のために強さを求めて槍を振るい続け、己を磨いた自分となんら変わらない。

とはいえ、意地を張って茨の中に頭から突っ込んで血塗れになろうとするような姿は見ていられるものではない。誰よりも愛して欲しい男に捨てられた事すら踏み越えようとして、ひたすらに抗う痛々しい強がりが哀れだったのだ。

細い手首を掴んで、唇を奪い勢いのまま想いを告げて事を進めようとした。自分のものにしたいだけの原始的な欲求で、力ずくでも女を得たいと思ったのは初めてだ。噛みつかんばかりの拒絶をしながらも、惨めなままでは応えられないと泣いた姿は気高く凛としており、弱いなりに強くいようとする姿は愛らしかった。この女を守りたいと、素直に思うほど。

あれほど憎んだ人間を愛してしまったことを不思議と後悔していない。父は人間の母を愛し、母も魔族の父を愛した。同族では満足できない家系なのかもしれないとすら思えてきている。例えその瞳が自分以外の男にしか向けられていなくとも、ヒュンケルと幸せになりさえすればいいとさえ思っていた。見守るつもりでいた、それが最善だとわかっていたからだ。感情を殺す事くらい慣れている。

彼女が何も言わずに去ったと聞かされた時、どれほどヤツを殴り飛ばしてやろうと思ったか知れない。しかしその場で当人同士の話に首を突っ込む無粋な真似はできない。ヒュンケルはフラフラと旅に出てしまい、最早を連れ戻すしかないと思い尋ねたら、戻れない所まで行ってしまった。

は今、全てを懸けて夢に向かって走っている。かつてバラン様に命を捧げて己の強さを磨いた自分のように。ならばこれ以上ヒュンケルのことについてどうこう言うべきではない。彼女なりに前向きに折り合いをつけようとしているのだから、しつこく蒸し返して傷を抉るのは酷だ。

微かに頬を染めて、はにかんだような表情を初めて向けてきた瞬間の高揚感に口元が微かに綻ぶ。惚れた女が誰にも話したことの無い過去を打ち明けたのが自分だけというのも悪くない。これまで見せていた余裕は、辛い過去を乗り越えてきた故に持ち合わせた仮面のようなものだったに違いない。

荒地で孤高に咲こうとする花のようだ。今は咲いていなくとも、夢を叶える算段はできているのだろう。そうでなければ周到な彼女が夢などという不確定なものに全力を注ぐとは考えられない。なにせ大魔王に一泡噴かせた女だ。連れ戻す事は叶わなかったが居場所もわかった。以前よりも深くという女を知れた。これだけで十分な収穫といえる。

口付けた唇の甘さを忘れられるはずもない。

ヒュンケルが本当に手を放したのならば、この手が掴む事にも躊躇いはない。



(夢主視点)


お昼休み、舞踊学院の外で日当たりのいい石段に腰掛けて、ライ麦パンのチーズサンドをもそもそ食べながら、パプニカに戻ったであろう男の姿を思い出す。数日たった今も思い出すと頬がじわりと熱くなる。いかん、ドキドキしちゃう。

「……うー」

まさか彼があんなに好意を抱いてくれていたなんて本当に予想だにしていなかった。
でも気付かなかったんだもん、しょうがないじゃないか。
私はヒュンケルの事が本気で好きで、ラーハルトの言うように彼しか見えてなかったんだから。

キスされた。
押し倒された。
泣いてる間ずっと撫でてくれた。
強引なのか優しいのかわかんない。
いや優しいのか、じゃなきゃ止めないで食べられてたもんな。

2回目になるビンタをかましたのは申し訳なかったけど、あっちだって勝手に2回もキスしたんだからおあいこだ。本気で抵抗しなかったら完全に身体を許していた。押し負けて流されて抱かれたに違いない。泣き止むまで背中を摩ってくれていた間も、甘えてしまおうかって何度も思った。逞しい胸が過去だけじゃなくて何もかも受け止めてくれそうで、自分を抑えるのに必死だった。

けれど中途半端に始めた恋は絶対に続かない。彼はそんな扱いをしていい相手じゃない。ラーハルトは辛い過去があって人間を嫌いになり、憎みさえした。今だってまだ人間不信だ。そんな人が私という人間を好きになったのだから、彼にとって大きな出来事には違いない。だから軽い気持ちで甘えてはいけない。私自身の気持ちに整理がついていない以上、好意に甘えて慰めを求めるのは間違いだ。

「……うん。あの対応で間違ってない、よね……」

肌の色は青くても、触れ合った肌は温かい。頭を撫でてくれた掌は心地良かった。
ラーハルトは我が道を行き誰にも気を遣っていないようで意外と周囲を見ている。もちろん毎回空気を読むってことは無いけど、大事な場面ではそれなりに振舞う人だ。一体どれだけの人がそれに気づいているかわからないけど、多分ヒュンケルとかクロコダインとかダイとか、私くらいな気がする。つまり彼が気を許している範囲の中でも少数だけだろう。

今回だってヒュンケルの苦悩を知っていたから、彼は友人のヒュンケルの幸せを願って、自分の気持ちを抑えて私と彼の仲を修復しようとしたんだ。ラーハルトは滅多にダイ以外の他人への配慮を見せたりしないから、今回の事は本当にごく稀なケースだったはず。

私はその心遣いを蹴った。結果、今度は彼が私に対する自分の心を見せてきた。
事の顛末はつまり、そういう事だ。

興味がないわけじゃない。彼の性格も口の悪さも知っているし、こちとらそれで傷つくような柔な性格もしていない。ヒュンケルが告白してくれない事を散々愚痴ってしまったことについては平謝りしかないけど、本当に気が合わない相手なら私だって話さないし。

それに私に戦う覚悟をさせたのも、折れない決意をさせたのも、彼の死が切欠だった。
出会って、死に別れて、蘇った彼が最初に会ったのも私だ。

個人的には魅力的な男性だと思う。単純にそれ以上にヒュンケルを好きだっただけだ。魔族と人間の違いを見た目以外にいま一つ良くわかっていない上に、初見がロンさんだった私には、ラーハルトも余裕で恋愛対象だし。こんな肉食な性格で申し訳ないけど、ヒュンケルの事が無かったら彼に惚れてた可能性すらある。普通にカッコイイもの。

何よりも、背中を撫でてくれた手の優しさが心地よくて心が揺らいでしまった。だってこっちは傷心しているのだ。弱っている時に異性に優しくされて好きだと言われたら誰だって多少なりとも気持ちが揺らぐもんじゃないか。

戦い以降どうも私に対して当たりが弱いなあと思っていたけど、その理由もさっき全部解った。私的には友情だと思っていたけど違ったんだな。彼の言うようにヒュンケルばっかり見ていたから気付かなかったけど、そりゃ好きな女の子には男の人って基本、優しいよね。それなのに意識すらしないで、水かけられた時だって助けてくれたのにヒュンケルにちょっと冷たくされただけで凹んで気遣いもしなくて申し訳なかった。こんな酷い女なのに追いかけてきてくれるなんて、私は何て幸せなんだろうか。

ラーハルトの前では私は泣いてばかりいる。既に三回も泣き顔を見られた。
せめて次に会う時は最初から最後まで笑顔でいたい。けれどその為には、私がもっと上に昇る必要がある。

負けっぱなしの惨めな自分は、彼には不相応だ。釣り合いの取れない恋愛は何れ破綻する。
最高の自分で最高の恋をしたい。今度こそ真っ当に、真剣に誰かを愛せるようになりたい。
だからこそ中途半端な状態で寄りかかるなんて絶対に出来ないし、したくない。
最低限、ヒュンケルへの想いを綺麗さっぱり吹っ切らないと、彼の手を取ることはできないだろう。

するべきことはまず、私自身の心を決められるようになるまで自分を磨くことだけ。
そこから始めよう。



(ヒュンケル視点)


超竜軍団によって壊滅させられたカールでは、城ですら再建中だ。凱旋で訪れた際は女王以下指導者達はまだ仮の焼け残った宿舎で寝泊りをしており、バランによるドラゴンの襲撃が以下に凄惨であったかを物語っていた。凱旋からおよそ一月が経ち、城にはようやく女王と新たな国王が休める場所が造られ、つい先日宿舎から移動してきたばかりだと言う。ティーカップにポットから湯が注がれる音が、土の匂いの残る真新しい室内に響いている。

「やーっと捕まってくれましたねぇ」

上機嫌で茶を入れているのはこの国の新たな王となった師である。カールはこの男がいるので早めに抜けるつもりでいたのを、偶然城下で宿を取っていたらお忍びなどというふざけた名目で公務をサボっている師と出くわし、見なかった振りをして去ろうとしたら腕を掴まれて騒ぎ立てられたので、大人しくさせるために連行された。つまり捕まってやった、と言うのが正しい。

「路銀はどうしているのです」
「心配無用だ」
「いやあびっくりしましたよ〜。レオナ姫…じゃない、女王から、貴方が旅に出たと手紙を受け取った時は、私もう心配で心配で夜も眠れなくって」

似たような台詞をベンガーナで聞いたが、こういった場合言っている本人は大方ちゃんと寝ている。

「……それで、何か掴めそうですか」

茶を入れたカップを差し出しながら問いかけてきた師の声は居心地が悪いほど温かい。この声の優しさが苦手だったのだ。幼い頃に芽生えた苦手意識というものは簡単に消えるものではないらしい。返答はせずに出された茶だけ飲んで出て行ってやるつもりでカップに口をつけると、アバンが明るい声で続けた。

「いいですねえ、悩んで悩んで、フラフラフラフラ。私もしましたよ、いーっぱい」
「15年もな」
「…………あの、そこ言われると結構傷つくんですけど。」

本当の事だ。この男は確かに先見の明もあり、一所に留まるのではなく放浪して希望の種を撒く事に重きを置いた。しかし一番最初にこの男の弟子となった身からすると、存外本人がそれを楽しんでいたところもあると思うのだ。見たことの無い植物や生物を見つけた時など、オレをその場に待たせて時間を忘れて詳細にスケッチするなどという事もあったと記憶している。

「……書類の山を片付けてから休憩したらどうだ」
「ああ良いんです、アレは。翻訳してもらわないと、どの道読めませんから」
「翻訳?」
「ただの調査資料ですし見てもいいですよ」

この男に読めない言語があるという事自体が驚きではあるが、アバンが地上の言語全てを把握していると考える事そのものが間違っているのだろう。武芸百般とはいえ専門分野でないのならできないこともある。とはいえ自分が読めるとも思ってはいないため、さっさと話題を終わらせるために資料を横目で見ると、見覚えのある文字がある。かつてミストバーンに叩き込まれた言語だった。

「……ああ。ドール語か」
「えっわかるんですか?」
「オレがどこで育ったと思っている」
「……読めると言うのは初めて知りました」
「特別な言語ではないだろう」
「特別ですよこれ。カールの端に住むごく少数の魔族の集落の」

書類を手に取り試しに内容を読んでみると、ところどころわからない単語があるものの大雑把な内容は理解できた。集落周辺の地域に人間の立入りを禁じて保護して貰いたいと書かれている、と思われる。おそらく魔王軍の襲撃で過敏になった人間がこの集落の無害な魔族まで迫害しているという事だろう。

かつてのラーハルトのように謂れの無い差別で苦しむ者がまだ地上には存在する。あの男はバランに救われ、自身の強さを磨くことで迫害に屈しない精神を得ることが出来たが、誰もが同じ事を出来るわけではない。誰かが目を向けなければならない問題だ。じっと書類を見つめて物思いに耽っていると、アバンがこちらを凝視していることに気付いた。

「……ヒュンケル、ちょっとその書類の翻訳しません?」
「やらん」
「ええ〜いいじゃないですかぁ!」
「長く使っていないんでな。大分忘れている」
「ちぇっ。コスト削減になるかなーと思ったのに」

アバンはぶつくさと文句を言いながらオレの手から書類を抜き取ると、口元に手を当てて何かを考える仕草を見せた。本能的に席を立ち部屋を出ようと試みたものの、気付けば再び腕を掴まれている。振り返りたくない。この男がこういう仕草をするときは大抵、こちらを巻き込んで何かをしようとしているのだ。幼い頃に散々味わった経験が危険であると告げている。

「…うん。決めました」
「何も聞こえん」
「ヒュンケル」
「何も聞こえん…!」
「ちょっとここ、行って来て下さい。」

にこやかな笑みを浮かべた師の笑顔が振り返らなくても目に浮かぶ。
カールになど立ち寄らなければ良かった。



(夢主視点)


踊り子育成の最上級コースはキツイ。
一日中踊りっぱなしで、何人かは始まって数週間で倒れて吐いて夜逃げした。その上女同士の苛烈な蹴落としあいも始まっており、最初は30人以上居たはずが気付けば20人になっている。話によると、毎年終了まで残るのは多くて6、7人、少ない年は3、4人らしい。どんだけ厳しいんだここ。

とはいえ、私はかつてプロとして踊っていて、ロンさんのハードな修行で体力は底上げされていたので、今のところ倒れることはない。こっそり吐いた事はあるけど、ホイミでちょいちょい体力を回復していたりもする。幾人か同じように回復呪文を使える子はいて、同じように隙を見て体力回復していた。

嫌がらせも今のところは受けていない。おそらく今の段階で嫌がらせを受けている子は最初から目を付けられた弱そうに見られてしまう子達だ。助けてあげたいけど、ここは抜け目の無さも実力の内として評価される場所だ。最初からこうなる事は覚悟していなければならない世界なんだから。

今の課題は薄い布を頭上でくるくると新体操のリボンのように回して、花の形を作って空中で形をキープさせるというもの。口で言えば簡単だけれど、新体操のリボンのような棒の先についているわけでもない布、しかも風の抵抗でしわが出来たりして一定の重みを常に保っているわけじゃないものに均一に力をかけるのは至難の業だ。花の形が出来るように集中してやれば出来なくはないけれど、問題は指先を見ずに顔は正面を向いたままで出来るようにならなければいけないこと。

回している布が花の形になっていることを確認せずに踊りを続けなければいけない。練習中は鏡で確認できても、本番は鏡なんてないから、100%成功できるようにならないと課題をクリアしたことにならないのだ。回し続けていると方や腕にも負担がかかって、昨日から腕が痛い。この状態ではターンを決めるだけでも相当な集中力を消費する。

「あうっ!」

バン、と隣で踊っていた子が木の床に倒れた。私より2歳年下でリュカというそばかすの可愛い女の子だ。

「リュカ…!」
「手を貸す必要はありません。位置に戻りなさい」

助け起こそうとした私に、講師の女性がぴしゃりと言い放つ。痩せているが筋肉の付いた細い中年女性だ。話によれば魔王ハドラーの時代に活躍し、ロモスの王宮で何度も踊った事があるという実力者だそうだ。指導は厳しく甘さは一切無い。が、楽しく踊るだけでは生きていけないことをよく知っている、個人的にはいい講師だと思っている。

「立てないのなら外に出ていなさい。ついて来られない者は不要です」

慈愛もへったくれもない冷たい言葉を浴びせられ、リュカはぐっと唇を噛んでいる。しかしこの場にリュカの味方をする人間はいない。皆同じ思いだからだ。ついて来られなければ置いて行かれる、だから死に物狂いでついていく。最上級コースは実力のあるものだけしか生き残れない。実力のない者にレベルを合わせては、全体の成長速度が遅れるだけだからだ。リュカもそれを理解している。

「い…いいえ!まだやれますっ!」

膝を擦りむきながら立ち上がったリュカをじっと見て、講師は手を打ち鳴らして、もう一度最初から!と声をあげる。掛け声で姿勢を正し、講師の手拍子で言われたとおりの振り付けを確実に身体に叩き込む。同様に練習をこなしているライバル達は皆それぞれ美人揃いで、気が強く根性がある女だ。性格の良し悪しに関わらず実力もある。

その中ですら実力と自己主張と抜け目の無さの僅かな不足で蹴落とされる者が出る。力と力の戦いとは違う、女の執念が勝利の鍵となる戦場がここにある。これに勝ち抜いて初めて、世界を舞台にして上り詰める準備が完了する。

ここを卒業するだけが目的じゃない。このコースは最後に踊りの国際大会に出場する権利を勝ち取れるのだ。つまり、舞踊学院を出るだけでは終われない。本当にトップに上りたいのならば、ここで得た切符を手に、磨き抜かれた踊り子達の中でも更に上を目指すのが正解だ。そしてそこからようやく実力のあるダンサーとしてのキャリアを開始できるようになる。

「そこ!腕はもっと高く上げて、美しく!!」
「はいッ!!」

講師の鋭い指摘を受けて腕の高さを調整する。
この挑戦はまだ始まったばかりだ。
目指すはトップダンサーのみ。