(ヒュンケル視点)

マァムと女を捕らえた3日目の朝、情報どおりにダイとポップが仲間を奪還するために攻め入ってきた。
一気に慌しくなる城内の魔物たちに前日の指示通り動くように命令を飛ばして執事を呼ぶ。

「モルグ」
「は……」

オレに仕えるこの魔物は、一度たりともオレの命令に背いた事は無かった。あの女の部屋の鍵を閉めなかったこと以外には。

「黒髪の女に装備と荷物を返して地上に解放しろ」
「……よろしいのですか?」
「構わん。ただの踊り子一人捨て置いたところで何も出来まい」

オレの指示にモルグは黙って頷くと女のいる部屋へと足を向けた。十数分後にはあの女は晴れて自由の身となる。自由になった後でオレに攻撃を仕掛けてきたら、その時は返り討ちにすればいいのだ。どの道、あの女に大した実力は無いだろう。

黒髪の踊り子。あの女は最後まで、オレに対する批判を何一つしなかった。監禁されて装備も荷物も奪われ、仲間を拘束されているというのにだ。オレの怒りを買って痛い目に合わされるのが怖かっただろうのか。昨日女が中途半端に言いかけて止めた言葉の先は、なんだったのか。オレを罵倒しようとしたのではないのか。
腰の魔剣の柄を握り、玉座から立ち上がる。

どうせ解放する女だ、どうでもいい。

勇者の首を取る。オレのやるべき事は、一つしかないのだから。



モルグに教えられた隠し通路を通って地上に出た瞬間、地面が大きく揺れてあちこちに亀裂が走った。
遠くで女の子の叫ぶ声がして、声の聞こえた方向に走ると、ヒュンケルがマグマの中に沈もうとしていた。

「……うそ……ちょっと、どうなって――」

闘技場のような場所が真っ赤に煮え滾ったマグマで満たされて、灼熱の中に見覚えのある手が消えていく。どうしてこんな事になったんだろう。ダイ達の姿も見当たらない。近づこうにも凄まじい熱で、氷系呪文では一瞬熱を遮るだけで精一杯だ。
どうにもできないまま動けなくて呆然としていると、大きな影が頭上を飛び越えてマグマに近づいていった。目を凝らして影の正体を確認し、思わず声をあげてしまった。

「あんたは……クロコダイン……!!?」

クロコダインは私に気付いたもののマグマの上に滞空し、斧を取り出してマグマに向けた。そこから放出された風らしきものがマグマを散らして溶けた岩の中から何かを引き上げる。クロコダインに引き上げられたのは、灼熱に身を焼かれたヒュンケルだった。まさか、生きているのだろうか。
急いでブーツの力で飛び上がってクロコダインの近くに飛翔する。

「ねえ!何があったの!?」
「お前は……?」
「私は、ダイ達の知り合い!彼の事も知ってる……!」

体中を超高熱で焼かれた男の火傷は痛々しく、一刻も早く治療をしなければ生きていたとしても手遅れになることは明白だった。

「説明は後だ。ヒュンケルを手当てせねばならん」

クロコダインの言葉に大きく頷いて、彼に先導されるままに飛んだ。


(ポップ視点)

地底魔上がマグマに沈んだ翌日、ダイとマァム、オレの3人はバダックさんの好意で体を休ませて貰った。敵とは言え同じアバン先生の弟子だったヒュンケルがあんなことになったんで、マァムの顔には元気がない。

「マァム……」

落ち込む気持ちはわかるけど、元気出せよ。って言っても、はいそうですねってワケにゃいかねえだろうし、どうしたもんか。あいつはいけすかねえヤツだったけど、オレ達の兄弟子だったことに変わりはないもんな。
マァムを励ます良い方法はないかと考えていたら、ダイが近寄ってきてオレにこそっと耳打ちした。

「……あのさ、ポップ。さっきマァムに聞いたんだけど、どうもさんもヒュンケルに捕まってたみたいなんだ」
「えっ、マジかよ!?てっきりオレ達と別れて先に進んでるもんだとばかり……」
「おれもそう思ってたんだけど……」

さんは旅をしている踊り子だ。あの人はオレ達の戦いには関係ねえから、パプニカの船着場で別れた後は自分の目的に向かって帰れば良かったはずだ。何でヒュンケルの野郎なんかに捕まってたのかわからない。もしかして、オレ達と一緒に居たから勇者の仲間だと思われて魔王軍に目を付けられちまったんじゃ……!

「ヒュンケルはおれ達が来ればさんを解放するってマァムに約束したらしいんだ。でもどこにも姿がいなかったろ?」
「まさかっ……巻き込まれて一緒にマグマに……!?」
「ヒュンケルは約束を破ったりはしないだろうから、無事に逃げてると思うんだけど……」

オレより頭一つ分小さい頭が俯いて、うーんと唸る。ダイの言うとおり、あいつは約束を反故にするほど卑怯ってタイプじゃなかった。マァムだって捕まってただけでぴんぴんしてたから、無抵抗の女に手を出すほど堕ちてはいないだろう。でも、あいつは魔王軍にいて、あいつの他にさんに目をつけたヤツがいないとも考えられねえ。単純に美人だから魔王への貢物として目を付けられた可能性だってある。美女が悪いヤツに攫われるってのは鉄板だ。

だけどあの人結構ちゃっかりしてるっつーか要領良い感じするし、上手い事逃げてる可能性の方が高い。さんが履いてるブーツは空も飛べるし。大丈夫、大丈夫だ。
今はとにかく早く回復して、レオナ姫を探さなきゃな。そうと決まれば、マァムにも元気になってもらわねえと。

「よっ」

座り込んで落ち込んでいる肩を叩いて声をかけると、しょんぼりしたマァムが振り返った。こいつがこんなにしおらしいのって変な感じかも……。

「そのよ……さんのこと聞いたぜ」
「……私のせいだわ。彼女、私を探してあそこに行ったみたいなの」
「!」
「私、ヒュンケルはちゃんとさんを解放してると思うの。でもどこにも姿が無かったから、もしかしたらあの大噴火で……!」
「マァム……」

そうか。こいつが応えてんのは、自分の所為で無関係の人が巻き込まれたかも知れねえって事だったのか。ならこの落ち込みようにも合点がいく。ヒュンケルの件は立場上、敵だった事もあるから無関係ではないけど、さんはそもそも戦いに参加しないはずの人だ。部外者を巻き込んで、あまつさえ命の危険に晒しちまうなんてことはあってはならない。

けど、マァムだって巻き込みたくて巻き込んだわけじゃないし、誰だってカンペキじゃねえんだ。責任を一人で背負うのは間違ってる。

「おめえは悪くねえよ。それに、あの人ちゃんと解放されてるはずなんだろ?」
「ポップ……でも……!」
「大丈夫だ。あの人要領よさそうだし、間違ってもヒュンケルの野郎の神経逆撫でしたりするタイプじゃねえから、上手い事やって無事に解放されてるさ」
「そうかな……」
「そーそー。あの変わったブーツで空だって飛べるんだしさ。マグマからも、ちゃんと逃げられてるって。“もう何これー!?信じらんなーい!”なんつってさ!」

オレの言葉に、マァムは少しだけ笑って、自分に言い聞かすように頷いた。

「……そう、そうよね。さんなら上手に切り抜けたわよね」
「ああ。だから、おめえもいつまでも落ち込んでねえで、しゃきっとしろって!」

オレがもう一度肩を叩くと、マァムは今度こそ大きく頷いて、にっこり笑った。はじけた笑顔が女の子らしくて、なんかドキドキする。……さんもいいけど、こいつもやっぱ可愛いよな……もうちょっと大人しけりゃもっと良いのに。


(クロコダイン視点)

ヒュンケルを助け出した時オレに声をかけてきたのはという人間の女だった。ダイと戦った時に彼女もいたというが、生憎直接戦ったわけではないので覚えていなかった。聞けば成り行きでダイ達に加勢し、短い道中を共にしたのだという。

彼女の処置は手早く丁寧だった。焼け残った服を切って躊躇い無く脱がせて、火傷を負ったヒュンケルの全身に濡れた布をかけて熱傷を冷やしながら、とにかくベホイミをかけ続けたのだ。呪文による治療は真夜中過ぎまで続いた。足の熱傷が最も酷く、治療しているが痛ましげに眉を顰めていた。

表面の火傷があらかた治癒し、包帯を巻いて寝かせておけばいい段階まで来て、ふらついた彼女がオレに「あとよろしく……」と言いながら気絶した。回復呪文を使いすぎて疲れたのだろう。地べたに寝かせるのは可哀想なので、マントに包んで寝かせてやった。

やがて夜が明けて太陽が昇った頃、がのろのろと起き、ヒュンケルもまた目を覚ました。



同じ軍団長として魔王軍に与した者として、オレのした事は主だったハドラーやバーンを裏切る行為だった。しかし後悔はない。武人として誇り高く生きることが主への忠誠心を上回っただけだ。

苦しげに項垂れたヒュンケルは死を望む言葉を口にした。ダイ達の戦いを経て自分の犯した罪深さに気づいたのだろう。気持ちはわからないでもない。
己のした事を悔いている男に、が立ち上がってゆっくりと向かっていった。ヒュンケルは俯いたまま、彼女を見遣り自嘲するように笑った。傷ついた男を見下ろす彼女の表情はこちらからは見えない。

「……何も…言わんのだな……」

は無言で下を向いているヒュンケルの顎に手を添え上を向かせた。ヒュンケルがぎょっとして目を開いたのが見えた。何をする気かと思いきや、次の瞬間その頬を思い切り叩いた。
乾いた音が響く。止める間もない早業だった。

「お、おい!」
「殴られたそうな顔してたから殴ったの」
「…………!」
「ああなんて女だ全く……」

慈悲もへったくれもない。ここまで容赦の無い言葉をよりによって打ちひしがれている怪我人にぶつけられるのは凄い。引っ叩かれたヒュンケルは呆然としている。女は本当に恐ろしいものだ。
はヒュンケルの頬を張った後はさっさと川に洗い物に向かったので、後のフォローはオレに託されたことになる。

「なあヒュンケルよ。オレは男の価値というものは、どれだけ過去へのこだわりを捨てられるかで決まると思っている」
「……!」
「たとえ生き恥をさらし万人に蔑まれようとも、己の信ずる道を歩めるならそれでいいじゃないか……」

オレの言葉に、ヒュンケルははっとしたように息を呑んだ。

「オレはダイ達に加勢しに行く……!それが、武人の誇りを思い出させてくれたあいつらに対するせめてもの礼よ……!」
「ま……待てっ……!」

包帯を巻いたヒュンケルがダメージを堪えながら立ち上がる。傷つき揺れていた瞳には再び闘志が灯っていた。

「……お前の言うとおりだクロコダイン。死んで済むほどオレの罪は小さいものじゃなかった……!それに、お前とマァムは初めてオレのために泣いてくれた……その涙に報いるためにもオレは……オレは……!戦い続けなければならないんだ……!!」

今再び立ち上がることを決意した男の元に、失ったはずの魔剣が戻る。

「そうだ!お前が闘志を失わない限り、その鎧もまた不死身なのだ……!」

鎧がヒュンケルの体を覆い、戦いに赴く男を守る。ヤツもまた、ダイとの戦いを通して本当に大切にすべきものが何か理解したのだ。

「ありがとう……獣王……!!」

オレ達は互いにがっちりと握手を交わして頷き合った。いざ行かん、と思いきや、ヒュンケルは今度は川に向かって歩き、自分を張り倒したの元に近づいていく。

「女……いや、
「なに」
「殴られてこんな事を言うのは妙かも知れんが……お前にも感謝している」

ヒュンケルの言葉を聞いて川に向かっていたは振り向いて立ち上がり、腰に手を当てて返した。

「スッキリした?」

彼女の言葉でオレはようやく気づいた。ヒュンケルは誰かに叱られたかったのだ。独りよがりの自分をバッサリと斬り捨てて欲しかったのだろう。彼女はそれを察して、この男の頬を張ったのだ。

「ありがとう」

ヒュンケルの感謝の言葉に、は肩を竦めて笑って応えた。大人の女性らしい余裕のある態度に、オレもようやく安堵した。