「……んー……ちょっと塩足んないかな。もう一振りしとこ」

私は今、太い木の棒にぶっすり刺さった巨大なイノシシをメラでじっくり焼きながら、ちょいちょい焼き加減と味見をしては火力の調整をしている。当然一人で食べる量ではない。見るからに大食らいのクロコダインのお腹を満たすための量だ。

クロコダインの部下のガルーダによれば、ダイ達はバルジ島という場所に向かったらしい。そこでフレ……なんたらという新しい敵と戦うようだ。どうでもいいけどこの世界って名前が覚えにくい。あとガルーダの言ってる事は「クワァッ!」としか聞こえなかったんだけど。あれかな、魔物同士の共通言語的なものがあるのかな。2回くらいの「クワァッ!」にさっきの情報が全部入ってたのかな。わからない。不思議だ。モルグは言葉喋れたのに。

ところで私は大抵いつも到着すると戦いが終わっているんだけど、大丈夫かな。私の微妙な運に二人が引っ張られて遅かったです的なことになったら申し訳ないんですけど。恥ずかしいよね、遅れて登場して全部終ってたら。

それにしてもお腹空いた。そう言えばヒュンケルを回復しまくってたらご飯食べ損ねたんだっけ。早くお肉食べたい。段々思考が逸れてきてぼーっとしていたら、背後に人の気配を感じた。振り向くとヒュンケルがじっと私を見下ろしていた。クロコダインは……川の方でばしゃばしゃ音がするからあっちにいるのか。
何の用だろうと首を傾げていると、ヒュンケルが口を開いた。

「……聞きたいことがある」
「んー?」

なんだろう。

「お前を捕らえていた時……オレにダイ達と戦わないでくれと願ったのを覚えているだろう」
「うん……」

言った。だってクロコダインを倒しちゃったとは言え、あの子はまだ子供で、こいつは大人だったから、酷いことをして欲しくなくて。

「あの時お前は何かを言いかけてやめたが……何を言いたかったんだ?」
「…………ああ。あれね」

ヒュンケルの問いは、あの時私が飲み込んだ言葉についてだった。が、急に思い出そうと思っても会話の流れを思い出さないと時間がかかる。ええと、確か……ああ思い出した。もう荒んでないから言っても大丈夫だろう。

「――“お父さんはそんな事望んでんの”って、言おうと思った」
「……!」
「で、やめた」
「何故……言わなかったんだ」

ヒュンケルの問いかけに、私はあの時の正直な気持ちを口にした。

「だってソレ言っちゃったら、あんたのこれまでの人生ひっくり返すみたいなもんじゃない。あんただって好きで孤児になったわけでもないし、好きでアバンさんを恨んだわけでもない」

そう、彼の人生はただ単に不幸が続いていただけだ。アバンさんについては誤解があったのかも知れないけれど、子供だった彼がすれ違いというものを容易に理解できるはずがない。目の前で父親を失って情緒不安定だったであろう少年に、勘違いに自分で気付けと言うのは酷過ぎる。

「あんたがお父さんを失くした時、あの子達みたいに優しい人たちがあんたをもっと支えていれば、こんな風にならなかったかもしれない。そう考えたら、私まであんたの生き方を批判するのは良くないと思った」
「……オレはお前を捕らえて監禁した……マァムも、牢に入れた。批判される材料は十分にあったはずだ」

私の返答を聞いたヒュンケルは、どんな反応をすればいいかわからない様子で自分の非を口にした。まあ、それはそうなんだけど。私もそれは思ってはいたんだけど。

「多分、そこはさ……」

イノシシを焼いている焚き火から、小枝がぱちりと爆ぜた。暖かい火の熱がじんわりと頬に移る。あの地下で熾した火も、同じように暖かかった。ゆらゆら揺れる火を見つめながら、枝で墨を突いて答えた。

「あんたの執事が一生懸命過ぎて……怒る気失せちゃったっぽい」
「……!……」

モルグ。あの魔物がこいつを、お優しい方ですって言うから。
私もこいつを信用してもいい気になっちゃったんだよ。

「いい部下だったね」
「…………ああ……できた部下だった……」

呟いたヒュンケルの声は、微かに震えていた。

「おおっ!これは美味いぞ!まだあるかぁっ?」
「んー、っていうかほぼクロコダインのための量」

ヒュンケルと話し終わったところでクロコダインが戻ってきたので、焼き加減もちょうど良くなったイノシシで食事がスタート。今日のメニューはイノシシの香草焼き、薬草のサラダ、パンを少々。
クロコダインが捕まえてくれたイノシシの血抜きを二人にやってもらって、ハーブを詰めて丸焼きにしたんだ。さっきヒュンケルと話しながら焼いてたのはこれ。

基本自炊の私は、必要不可欠な調理器具を旅にも持ち込んでいるので調理は問題ない。おかげで少し荷物は重いけれど、ダイエットと体力づくりと思えば我慢は容易い。まずまずの出来だと頷いてから食べはじめる。黙っているヒュンケルも、初対面の時より表情が柔らかい気がするので、多分まずくないのだと思う。

イノシシの肉は獣臭さが強いので、ランカークスのご婦人方に教えてもらった匂い消しのハーブを入れてある。山なら何処にでも生えているのでとっても便利だ。早速肉をおかわりしたクロコダインがお肉に齧り付きながら問いかけてきた。

「お前の故郷の料理なのか?」
「うーん、厳密に言うとちょっと違うんだけどね。私の父親が料理人でさ、料理を叩き込まれたの」
「ほう。そいつはすごいな」

クロコダインの素直な感想に、父の姿を思い出す。
あの頑固一徹オヤジは今どうしているだろう。フランスで元気にやってるだろうけど、たまに寂しがるから。

「きちんと花嫁修業をさせておられたのだな。立派なお父上だ」
「料理人の意地だよ。コース料理の一つや二つ作れないうちは嫁になどいかせん!って言ってて、私も負けず嫌いだからさ、めちゃめちゃ扱かれて。お陰で得意分野になったからいいけど」

キャベツの千切りを15秒以内に出来るようになるまで、毎日失敗したキャベツ食べてたっけ。おかげであの時は痩せた。

「がっはは!なに、娘がいい嫁になれるよう心配してのことだろう。お父上の指導は正解だな」
「ええーほんとに?おかげで私、料理くらいしか取り柄ないんだよ」
「なあに、男は胃袋で掴むものだ。は美人で料理も出来るから最高じゃないか」
「いやん優しーv嫁にいけなかったら貰って〜!」
「はっはっは!すまん、同族の方が好みだ!」
「えー残念!クロコダインが人間だったら私グイグイ行くのにー!」

うん、私クロコダイン好きだな。話しやすいし大らかだし、豪快で気持ちいい。ほんと、なんでこの人……じゃないやリザードマン?は人間に生まれてくれなかったんだろ。できればこういう頼れる兄貴っぽい安定感あるどっしりした感じの人と結婚したいよね、女としては。元の世界に戻ったら今度こそ出会いたいもんだわ。



(ヒュンケル視点)


野営にしてはしっかりとした夕食の後、オレ達は出立に備えて早めに休むことにした。オレの手当てや食事の準備で動き通しだったに寝ずの番などさせられないので、クロコダインとオレで交代で仮眠をとり、朝を待つ。夜更けの森の中では木の葉が風に揺れる音と枝が爆ぜる音しか聞こえない。静かな夜だ。

ふと、夕食の前に聞いた彼女の台詞が蘇る。

『あんたの執事が一生懸命過ぎて……怒る気失せちゃったっぽい』

困った風に笑った彼女の瞳は穏やかで優しかった。

モルグは良い部下だった。アンデッド系の魔物の中で、不死騎団の魔物では唯一人間の言葉を理解できた。無理難題は押し付けた事は無いが、オレの要求は厳しかったはずだ。それでも文句一つ言わなかった。あの執事は、がむしゃらに憎しみに溺れて進むオレの本質を見抜いていたのかもしれない。

寝息を立てている彼女をじっと見る。これまであまり気には留めていなかったが、は実に見目の美しい女性だ。揺らめく長い黒髪、少し日に焼けた肌は艶があり、体つきは無駄がなく引き締まっているように思える。優しげな雰囲気を思わせる少し下がり気味の眉、垂れ目がちな目は長い睫毛が影を落としている。鼻筋も通っており、少し厚めの柔らかそうな唇は瑞々しい。左目の端の小さな黒子が大人の女性らしい美しさを強調するようだ。

これで踊り子というのだから、衣装を着て踊れは一層美しく舞うのだろう。マァムの言うように本当に戦いとは無関係だったのだ。当身など食らわせなければ良かった。

考えてみれば無抵抗の状態でオレの当身を食らったのだから、防御も何も無かったはず、自分で回復呪文か何かで治療したのだろうが酷く痛んだに違いない。どう考えてもあれは自分の感情を制御できていなかったオレが悪い。

だと言うのに、彼女は未だその件についても批判することは無い。自分を監禁した男の憎しみや苛立ちを受け止め、マァムのように最後まで歩み寄ろうとし続けてくれた。それだけではなく、復讐しか見えていなかったオレを刺激しないようにじっと耐えていたのだ。その上マグマに沈んだこの身を癒した。感謝してもしきれない。

一度折を見て謝罪せねばなるまい。彼女が心の優しい人間である事は間違いないのだ、もしかしたらオレの暴挙についても無かったことにしようと気を遣わせているのかもしれん。しかし自分の犯した過ちを認めた今、既に死なせてしまった死者には直接謝罪ができないにしても、彼女には謝罪ができるのだ。都合よく忘れ去るわけにはいかない。回復に食事にと世話になりっぱなしなのもいけない。礼儀には礼儀で返すのが父のような武人の正しいあり方だ。

少し強い風が吹き、が子犬のように体を丸くする。薄い毛布が風でずれて捲れてしまったらしい。見れば背中が風に晒されている。寒いのだろう。起こさない様に注意しながら直してやり、安らかな寝顔を見てほっとした。

ダイ達の加勢に行く際には再び彼女の手を借りることになる。だが間違っても戦闘には巻き込んではならない。一度は仲間を傷つけたこの手だが、せめて戦闘員ではない彼女だけでも守ってみせよう。それがオレに出来る、最大の返礼となるだろう。