兵士に運ばれて城内に担ぎ込まれた は、衣装のまま化粧すら落としていない状態だった。傍らには女座長が狼狽を隠せぬ様子でついて いる。ぐったりとして動かない だが、身体には目立った外傷はなく、ところどころに擦り傷がある程度だ。

さんっ!」

意識を失くしたまま城の医務室のベッドに横たえられた に真っ先に駆け寄ったのはダイだった。ダイに続いて駆け寄ったラーハルト は、変わり果てた恋人の姿を見て頭が追い付いていないのか、焦った表情で彼女の首に指を当て、機械じみた動きで脈の確認を行っている。強 靭な精神を持ち合わせた友人の狼狽ぶりを目にしたヒュンケルは、ラーハルトに代わって状況確認をするだけの冷静さを辛うじて保った。

「どういうことだ。気を失っているのか」
「一体、何があったの!?」
「わ、わかりません……!ショーが始まったと思ったら、突然照明が消えて……!!」

女座長は狼狽えながら、詰め寄ってきたレオナの質問に答えた。
曰く、黒服の女が突然舞台上の照明を消して に襲い掛かり、彼女はその女を相手に立ち回ったという。しかし座長や劇場の係員たちが 観客を避難させることに気を取られているうちに、一人で犯人を捕まえようとしたのか、襲われたのか、兵士が裏口に到着した時は既にこの状 態だったらしい。

「兵士さんが仰るには、黒服の女が立ち去るのを目撃したと……」

話している内にいくらか落ち着いたのか、座長は城に駆けこんできた頃よりは動揺を抑えることができていた。事情を確認したレオナは女座長 を今夜いっぱい城で休ませるように兵士に指示して、 を襲った人物を目撃した兵士を呼び出すように控えていたマリンに言いつける と、 の状態を確認しているポップに声をかけた。

「ポップ君、彼女はどう?」
「ああ……見てくれ」

ポップは舞台化粧をしたままの の首元を指差した。しなやかな曲線を描く首には茨に似た文様がチョーカーのように巻き付いて不気味 な青い光を放っており、意識のない は整った顔を歪ませ眉を顰めて苦しげに呻いている。

「舞台化粧……なわけがねえ。こいつは多分、呪いか何かの術だぜ」
「呪いだとッ!?」

ここまで黙したまま恋人の隣で口を開くことの無かったラーハルトは、ポップの言葉で初めて声を荒げた。

「どういう事だ……!」
「バッ、バカ!オレに聞かれても困るってっ!」
「止さないか」
「っ……!」

勢いのままポップに掴みかかったラーハルトだったが、ヒュンケルに肩を掴まれ窘められて忌々しげに舌打ちすると、一人で混乱の残る部屋を 後にした。一国の女王を前にして礼もへったくれもない態度だったが、その場の誰一人として彼を責めることはできなかった。自分の恋人が何 者かに呪いをかけられて意識不明で担ぎ込まれて、冷静でいられるはずもない。

「…………あの女……!」

去り際の槍使いの押し殺すような呟きを拾ったのは、彼の友人である不死身と呼ばれた戦士だけだった。





「驚いたな……まさかお目にかかるとは」

襲撃があった夜の翌朝早く、パプニカ城の医務室には老いた大魔導士の姿があった。病の身体を押して部屋に入ったマトリフは、侍女たちの手 で舞台化粧を落として夜着に着替えた の首に巻きついた茨の文様を目にするや否や驚いたような素振りを見せ、低い声で唸った。

昨晩 の処置にあたった城の魔法医では呪いの種類が判別できず、ポップがシャナクを唱えても の身体に駆けられた呪いには効 果が無かった。ならばと、城の書庫でポップとヒュンケル、ラーハルトの三人は三賢者と共に徹夜で呪いに関する情報を漁ったが、何も収穫が ないまま夜が明けた。

にっちもさっちもいかず、苦しむ恋人の姿を救うこともできずに苛立つラーハルトをダイとヒュンケルの二人がかりで宥めすかして、夜が明け たら師の所に行くと約束したポップが宣言通り師の下に相談に行ったところ、幸いなことにマトリフは直接見て判断すると申し出てくれたので ある。

「こいつはレオランドの茨と呼ばれる呪いだ。通称、黒い茨と呼ばれている」

不気味な光を放つ首の茨を指差して、マトリフはポップに問いかける。

「よく見な。何か気付かんか」
「?」

尋ねられたポップは、苦しげに胸を上下させる の首元を注意深く観察して、あっ、と声を上げた。

「師匠!模様が伸びてっ……!?」
「そう……この茨の模様は体力を吸って全身に伸びる。二、三百年前にレオランドという魔術師が生み出した強力な呪いの一種だ」

マトリフは淡々と呪いの特徴を述べて更に続けた。

「こいつは特殊な呪術なんでな、シャナクではどうにもならん。術者が呪いを解くか、他の解呪法を探すしかねえ」
「もし……この模様が全身を覆ったら……?」

ダイの問いかけに、マトリフは静かに目を伏せて沈黙で応えた。その仕草がわからないという意味ではないことくらい最年少の彼にも理解でき た。返ってくるべき答えは一つしかない。呪いそのものが対象の生命を脅かすものである以上、術者が最終的に得る結果は対象の死しか有り得 ないからだ。だからこそ、今以上に最悪の言葉をこの場で口に出すのは憚られた。呪いを受けた彼女の恋人がこの場にいるのだから言葉にして 伝えるほど酷な事はない。

「くそッ!!」
「あ……」

マトリフの沈黙で、苛つきがピークに達したラーハルトが荒々しく舌打ちして乱暴にドアを開けて部屋を出てゆく。個人的な感情で彼が激昂す るところをこれまでほとんど目にしたことの無かったダイは、おろおろと当惑した様子で後を追いかけようとするが、その腕をポップが押し止 めた。

「今はやめとけ」
「でもっ……!」

他人が何を言おうと、この場に解決策がない以上、ラーハルトの心を静める術がないことくらいダイはわかっている。それでも、兄のように慕 う腹心が恋人を傷つけられて精神的に激しく揺らいでいるのを落ち着いて見ていられるほどダイにも余裕があるわけでもない。況してやダイに とっても、 は姉弟子のマァムとはまた違った、より家族的な部分に居る姉のような存在だった。ダイは が近い将来ラーハルト の伴侶になるものだと思って彼女と接してきたし、仲睦まじい二人を見て両親の姿を重ね合わせた事もある。凛々しい眉を八の字にして肩を落 とすダイの頭を優しく撫でたのは、静かに状況を見守っていたヒュンケルだった。

「ダイ」
「……ヒュンケル……」

消沈したダイに、ヒュンケルは無言で頷いて見せると、青年に差し掛かったばかりの弟弟子を残して部屋を出た。ヒュンケルにはこの場でラー ハルトを一番理解しているのが自分である自信があった。それはかつて同じ女性を愛した男としての経験も勿論のこと、愛する人を不幸にした くないという理由で誰の愛も選ばなかった彼なりの生き方ゆえのものもある。朝靄の立ち込める早朝、ヒュンケルは友人の姿を追って静かな廊 下を一人で歩き出す。





廊下の突きあたりは暗く冷えており、朝の光が間接的にしか差し込まない。頭を冷やすために部屋を出たものの苦しそうな恋人の顔を忘れるこ とはできず、ラーハルトは冷たい石壁に頭を押し付けて深呼吸した。主の前で感情的になったことも情けないが、恋人に危害を加えられたこと で自分がここまで揺らぐとは思わなかったのである。

懐から取り出した紙を開いて忌々しそうに眉を顰める。茶色く日焼けして年季の入った紙、おそらく羊皮紙であろうそれに描かれているのは 様々な紋章らしき図形である。ヒュンケルにこれを見せられた時、ラーハルトは古い記憶を思い出した。

この内の2つ、ラーハルトには見覚えがあった。その事をヒュンケルに言わなかったのは、彼の中で呼び起された記憶が不遇だった頃のもので あり、楽しい気分にはなり得ないものだったからだ。しかし黒服の女という言葉を聞いた時から胸騒ぎが収まらない。胸騒ぎの理由もなんとな くわかっている。だが口に出せば、ラーハルトが一番認めたくないことを認めざるを得ない。話すべきか否か、彼は迷っていた。

「ラーハルト」
「……ヒュンケルか」

手にしていた紙を折り畳み、ラーハルトはヒュンケルにそれを突き返した。ヒュンケルは羊皮紙を受け取ると、じっとその紙を見詰めて目の前 の友人に問いかけた。

「……何を知っている」
「何も」
「嘘をつくんじゃない。“あの女”というのは誰だ」
「…… の事だ」

眉を顰めて答えた友人に、ヒュンケルは小さく溜息をついた。彼の半魔の友人は嘘をつくのが下手だ。隠し事にも向いているとは言えない。ダ イと の前以外では感情を隠す努力をあまりしないのである。だから平気で人の神経を逆撫でするようなことも言うし、傲岸不遜などと 言われる。この男が比較的素直で大人しいのはダイと恋人の前のみだということを、ヒュンケルは良く知っている。

「誤魔化すな。オレには嘘は通用せんぞ」
「知らんと言っている」
「ラーハルト!」

語気を強めたヒュンケルに対し、ラーハルトは忌々しそうに腰のポケットから何かを取り出すと乱暴に投げつけて、腕を組み背中を向けた。咄 嗟に投げつけられたそれを片手で受け止め、掌に収まった物を目にしてヒュンケルは言葉を失くす。

「これは……!」
「……満足か」

ラーハルトが投げて寄越したのは一見すると大人の小指ほどの細長くて平たい金属のペンダントのようなものだった。銅でできているのか、と ころどころ青みがかって酸化している。しかし注目すべき点は材質でも形状でもなく、表面に彫られた紋章である。

「父がオレに遺したと母から聞いた。意味は知らん。知る前に母も死んだんでな」

吐き捨てるように言葉を発した友人に、ヒュンケルは謝罪を口にしかけて言葉を発せず飲み込んだ。ラーハルトが見せた用途不明な金属板に刻 まれた図形は、ヒュンケルが入手した紙の中にある描かれた紋章らしき図形のうち一つと一致している。ヒュンケルに背を向けたまま、ラーハ ルトは石壁に凭れかかって話を続けた。

「その紙に描かれた紋章を身に着けた人物を見たことがある……そいつも黒衣の女だった」
「な……!」
「……一番上の紋章だ。記憶違いでなければな」

ラーハルトが自嘲気味に口角を上げて告げた言葉に、ヒュンケルは息を呑んだ。

「――茨というのは、薔薇だろう」
「どうなっている……!?」

羊皮紙の一番上に刻まれた紋章もまた、薔薇だった。





午前、ラーハルトは一人で の家の庭先にいた。城の人間に彼女の着替えを取って来て欲しいと言われたからだ。この家に茉莉花の香り が漂うのは、植木に茉莉花の木が数本混じって植えられているからである。最初はこの香りを甘ったるいと嫌がっていたラーハルトだったが、 気付けば心休まる場所の香りに変わっていた。

パプニカに移住した頃の は煉瓦で囲まれた小さな家に住んでいた。当時は稼ぎも少なく、風呂付で借りられる家が狭いものしかなかっ たからだ。しかし踊り子として名を挙げて稼ぎも増えるにつれ、彼女はもう少し広い家に住みたいと言い出して、この植木で囲まれた庭付きの 家を購入して1年ほど前に住み替えた。前の家からは通りを一つ挟んだ場所で、劇場と城への距離はほとんど変わらない。

この家の庭は以前の家より広い。青々とした芝生が茂る美しい庭の隅には が植えて育てている料理用のハーブが茂っている。彼女が料 理中に手を離せない時は、ラーハルトが庭に出て、頼まれた分量のハーブを摘んでキッチンに持っていく。いつの間にか二人の間にできていた ルールである。

料理はそれなりにできてもハーブの種類まではさほど詳しくなかったラーハルトだが、彼女といる内に庭にあるハーブの名前は全て覚えてし まった。バジル、ローズマリー、タイム、ミント、オレガノ、セージ。これらの苗を市場で見つけた時、彼女は嬉しそうに破顔して、「こっち の世界にも何種類か、あっちと同じ植物や果物があるんだよね」と懐かしむような眼差しで語った。庭の隅にこれらの苗を植えた時の彼女の瞳 には望郷の想いが滲んで見えた事をラーハルトはよく覚えている。

は故郷には二度と帰れない。帰る術が存在しない。万が一帰れたとしても、あちらで死んだと語る彼女の肉体が異界を渡ることでどう 変化するのかわからない。もしかしたら消滅するかもしれない。そういった状況を踏まえて、彼女は彼女なりに自分がどうしたいのかを幾度も 考え、この世界で残りの人生を歩み自身の存在を証明すると決めた。そして傍らに居てほしい男にラーハルトを選んだ。

彼女の服は寝室に置かれているキャビネットに収納されている。どの段に何が入っているかまではラーハルトも詳細に覚えていなかったが、適 当に空ければ着替えはすぐに見つかった。彼とて恋人のものといえど女の下着を勝手に触るのは気が引けるが、他の誰かに恋人の私的な部分を 見られるよりはマシと考えて、家の中にあった布の袋に適当に着替えを放り込んだ。

ロモスで初めて結ばれた夜からおよそ2年半が経過して、情熱的に求め合う時期は緩やかに過ぎ、 と言う女はラーハルトにとって隣に居て心地良いの存在へと変わっていった。今は恋人になったばかりの頃のように無理して恋人らしい振る舞いばかりを気 張ってやらなくてもい い、落ち着いた状態になっている。

が庭先ですっかり懐いたしましまキャットに餌をやる姿を眺めながら、ラーハルトは庭に向けたカウチに座って、吹き抜ける風に混 じったハーブの香りを楽しむ。若い恋人達が酔いしれるような愛の言葉の応酬だけが必ずしも幸せを測る基準ではなく、静かで平穏な日常が続いている事こそが幸せなのだと彼は 理解した。かつての主が今は無き彼の妻と過ごした日々に感じていたものと同じものを守ることが、本来竜 の騎士を生んだ神々が守りたいものであり、ダイに仕える今の自分の成すべきことと知った。

それが何者かによって壊されようとしている。ラーハルトにとって我慢がならないのは、言葉にできない大切なものを与えてくれた女が標的に されたことと、それを回避できなかった自分自身に他ならない。やり場のない怒りが胸の中で嵐のように吹き荒れて、ここが誰もいない山奥な らば感情のままに槍を振るい、木々の数十本、岩のいくつかを力任せに砕いていたに違いなかった。

容姿が魔族そのものだからだろう、城に出入りしている彼も城下では未だに遠巻きに見られる。居心地の悪い視線を忌避し、ラーハルトはショ ウコと共に外を歩くことは滅多にない。その上城の内部、女王の反対勢力からも自分の存在が良く思われていないことは知っていた。それ故 に、自分の関係者として数えられる の身を案じてもいた。彼女にも、自分がいない時は人の多いところにいるように言い聞かせ続け た。その人ごみを逆手にとって相手は彼女を襲った。兵士になど任せるべきではなかったとラーハルトは強く憤る。

数日家を空けるとなればハーブを枯らしてしまうかもしれない。たかがハーブでも、ラーハルトにとってそれは幸せな時間を過ごす上で守るに 値するものだった。なにより、丹精込めて育てたハーブが枯れていては恋人が悲しむ。呪いを受けて苦しむ恋人に辛い思いをさせたくない一心 で、ラーハルトは庭のハーブにざっと水をやり、着替えを詰めた袋を持ち、戸締りを確認すると城に向かってルーラで飛んだ。

やがて太陽が高く昇り、植木の下からいつものようにしましまキャットが顔を覗かせても、静かな家には餌をやる人間はいなかった。





女王の執務室ではレオナをはじめ、三賢者とダイ、ポップ、そしてヒュンケルが集まって状況を確認していた。状況の確認と情報の整理が必要 だとレオナが彼らを呼びつけたのだ。ラーハルトは の家に着替えを取りに行かせている。理由は当然、彼に聞かれたくない話をするか らだ。

「現場に駆け付けた兵士によると、その黒服の女と見える人物が彼女を劇場の裏口で襲撃したようです」
「警備はどうなっていたの」
「それが……ラリホーで眠らされていたと……」

マリンの口から告げられた情報に、レオナは深い溜息をついて額に手を当てた。

「……こちらの手落ちね。後手に回ってしまった……」

レオナの言葉を聞いたヒュンケルが怪訝な顔をする。

「最近、彼女の周囲が妙な動きを見せていたという情報があったんです」

ヒュンケルの反応を見て素早く説明を入れたのは、すっかり吹っ切れて仕事に情熱を注いでいるエイミである。彼女はこの3年で飛躍的に魔法 のレベルと賢者としての素質を開花させている。18歳だった頃のように自分の感情で暴走する癖は落ち着き、冷静に状況判断ができるように なった。

「動いていたのは反対勢力ですわ。陛下の即位に反発していて、そのために人魔共存に強く反対しているんです。彼らはラーハルトさんやダイ 君の存在をよく思っていません」
「貴方が以前目をつけられたのも彼らよ。ヒュンケル」

レオナの言葉を聞いて、ヒュンケルは成程と呟いた。

「……何かしでかすような空気はあったの。それで彼女の周辺警備は強めていたはずだったんだけど……人ごみを逆手に取ってくるとはね」

溜息をつきながら、若き女王は額に手を当てて天を仰いだ。
種類にもよるが、熟練の暗殺者ほど人目につくところで対象を襲撃することは少ない。自分の身元がばれる可能性の方が高いことと、誰かに気 付かれて暗殺が失敗する確率が高くなるからだ。当然場所にもよるし、中には人ごみの方がやりやすいと感じる暗殺者もいる。しかし騒がれた 時に余裕を持って姿を消すだけの技術や人目の多い場所で相手を殺す度胸がなければ、基本的には人ごみで騒ぎを起こす暗殺者は滅多にいない し、まして舞台上にいる人間を殺すとなれば相当な技術と度胸が無ければできない。この点から、三賢者はもちろんレオナですらも、よりに よって暗殺が失敗する可能性の高い舞台上に居る を狙うはずがないと高をくくっていた。敵はそこにあえて付けこんできたのだ。

「カールの動きを知り、我々が追随することを見越して対抗してきたのでしょう。ですが強行してきた以上、相手も切羽詰ってきていると見て いい」

アポロの意見に、レオナはそうね、とだけ答えた。確かに、大きなリスクを冒してまで を攻撃した以上、動機には強いメッセージ性が あると見て良い。それはおそらくアポロの言うように、相手が余裕を失くしたためにこちら側の陣営に手段を問わず挑んできたと言うほかにな い。レオナ達がカールに追随しようとすることを阻み、人魔共存への道を本気で妨げようとしてきている。これまでは遠回しな妨害程度しかし てこなかっただけに、今回のような直接的な攻撃をされるとレオナの側も対策を講じないわけにはいかない。しかし証拠がない以上は首謀者が わかっていても裁くことはできない。迂闊に手を出せないのだ。

「あ、あのさ、ポップ」
「ん?」
「ちょっとよくわかんないんだけど……」

苦笑いしながら説明を求めたダイに、ポップは半分呆れ顔で頭を掻くと、いまいちはかりごとには向かない純粋な弟弟子がわかりやすいような 説明を考えた。

「あー……つまり姫さんの勢力を削ぐために さんを襲ったってことだ」
「レオナの邪魔したいならなんでレオナに直接やらないのさ。おれがいるから?」
「バカ!女王に面と向かって反乱するアホが居るかっつーの!」

ダイの真っ直ぐな質問に、ポップは頭を抱えながら年下の親友にわかりやすく噛み砕いて説明した。

「つまりな、 さんが誰かに痛めつけられたらラーハルトが確実に切れるわけだろ?下手すりゃ騒ぎも起こしかねない。そうすりゃ、魔族はやっぱり危険だなんだと文句のつ けやすい状況が出来上がるんだよ。つまりあっちに取っちゃ有利なわけ」
「有利……」
「で、お前が言ったように直接姫さんの命を狙うとするよな。そしたらバレた時にただの罪人だ、つまりあっちは不利になる。向こうは自分達 が有利な状況を作り出したいんだよ、だから不利になることはやらねえの。わかるか?」
「あー……ああ、そっか、そういうことか」

ポップの説明で事態を理解したダイは、頷きながら手を打った。こういう時、ダイは人間って時々面倒臭い事を考えるんだなあと思う。思えば かつてレオナの命を狙ったテムジンとバロンも、わざわざデルムリン島まで来て彼女を襲った。生来の奔放さと純粋さを今も尚持ち続けている ダイにとっては実に回りくどいやり方だとしか思えない。

「そして彼らの思う通りの展開になったら流れに乗じてダイくんも追い出して、自分たちが代わりに政治の実権を握るという魂胆よ……我が国 民ながら、嘆かわしい限りだわ」

レオナが沈痛な面持ちで額を抑えて深い溜息をついた時、響いた声に、全員が凍り付いた。



「――つまり、体よく利用されたという事か。コケにしてくれる」



「!」

聞かせるつもりが無かったから呼ばなかったのだが、通常の人間以上によく聞こえる耳が災いしたらしい。いつの間にか の家から帰ってきたラーハルトの瞳は激しい怒りを湛えている。その拳が強く握られている様子を目にして、焦ったポップが慌てて声をかける。

「お、おい!落ち着けって!」
「安心しろ。あいつの命がある限り報復はせん。だが最悪の状況に陥れば、こちらも容赦をする気は――」
「だめだッ!!」

腹心が口に出しかけた言葉をダイの良く通る声が遮った。最後まで言わせてしまえば目に見えぬ敵の思う壺になる。そして正にポップの言った 通りであれば、その言葉を口に出したなら、たった一人の義兄が父と同じ過ちを繰り返すことを認めてしまいかねない。ダイは苦虫を噛み潰し たような表情のラーハルトの顔を見上げて首を振った。

「まだ決まったわけじゃない、それに さんも生きてるだろ!?」
「ですが!!」
「父さんと同じになっちゃだめだ。繰り返さないで、ラーハルト」
「……く……!」

ダイの言葉にラーハルトは押し黙る。その場の誰もダイ以上にラーハルトの怒りを鎮める言葉は言えない。
時間は刻一刻と過ぎ、未だに踊り子は茨に囚われている。庭園の薔薇が風に揺れて鮮やかな赤い花びらが舞った。
重苦しい空気に満ちた執務室に、華やかな薔薇の香りが場違いに吹き込んだ。